部屋データ<R5年>

 相撲部屋の勢力をよりシンプルにわかりやすく表にまとめました。一門ごとに各部屋のデータ表、近年の動き、勢力の変化を解説。

 部屋の系統は、相撲部屋興亡史として別ページに独立しましたので、そちらをご参照ください。

過去の一覧は以下リストから

2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 

2017 2018 2019 2020 2021 2022 

一門データ

一門名 主な部屋 部屋 理事 上位 年寄 看板 勢力 直近の動き
高砂

九重,八角

錦戸

4 ○1  0 11 

北富
千翔

E

水龍入幕,隠岐引退

朝山十両復帰

出羽海

春野,境川

立浪

14 ↓0 ↓35 

御嶽

豊昇

C-

御嶽大関陥落
入間川を雷が継承

二所関

常盤,佐渡,

錣山

15 1 30 

貴景

髙安

C

平幕で三連覇

 

伊勢濱

宮城,大島
浅香

↑6 ↓0  ↓11

照富

翠富

C-

安治川独立

伊濱理事辞任

時津風

時津,陸奥

追手

5 ↓0  ↑17 

正代

若景

C+

正代大関陥落

豊島の井筒退職

 出羽一門に大関が復活したのも束の間、御嶽海は早々に陥落。正代もついに陥落し、時津風一門からも鶴竜の昇進以来11年ぶりに横綱・大関が消えた。もはや上位陣の寡多で勢力は測れなくなった。

 部屋に関しての動きは少なかったが、伊勢ヶ濱部屋の安治川が独立。停年となる入間川部屋は、雷が新たな看板を掲げて部屋を受け継いだ。昨年新設した武隈からは付出の西川改め豪ノ山、押尾川は尾車から受け継いだ矢後が一時復帰、二所ノ関も尾車出身の友風が復帰と、移籍組ながら早速関取を抱えることとなった。

 理事選はなかったが、伊勢ヶ濱部屋内の暴力沙汰で師匠が2度目の理事辞任に追い込まれた。


部屋データ

 一門ごとに、各部屋の現状を表でまとめていく。毎年2月ごろの状況。

 部屋のルーツなどは、下部の別表を参照。

・色付き文字は、直近1年の変更点。部屋の新設、改称、師匠の継承など。

・創設年は、改称の場合や再興であっても、その年を記載している。

・独立元欄、 *は実質継承の場合の継承元。()は師匠の名跡変更前の部屋名

・代表力士は、部屋を代表するOB力士。(現師匠を除く)

・現役力士は、所属する主な現役関取。()は関取経験者。

・積は実績、層は所属力士の層の厚さ、力は現状の勢力の強さ。A~Fで評価。

・矢印は、前年との比較

 

高砂一門

部屋名 師匠 創設 独立元 代表力士 現役力士   備考
高砂

朝赤龍

明初   朝潮,朝青 朝乃山 A C D

朝山再十両

錦戸 水戸泉

平14

高砂  

水戸龍

E G D 初の幕内
九重 千大海

昭42

出羽海 北富,千富 千翔,千丸 S B C 大龍引退
八角 北勝海 平5 九重 北力,海鵬

北富,北若

C C D 隠岐引退

 明治期に権勢を誇った高砂の直系を中心とした一門。横綱、大関となった歴代朝潮太郎を中心に、男女ノ川、前田山、東富士、ハワイ勢にモンゴル出身朝青龍など超個性派を生み続けた。若松、振分、大山、中村、東関など度々分家独立はあるが、いずれも一、二代で終わって拡大せず、常に本家が柱となっている。

 昭和42年、独立して出羽一門を破門された元横綱千代の山の九重を受け入れ。九重部屋からは3横綱1大関が育った。一時北の富士が井筒として分家したが、千代の山の急逝で統合して継承。千代の富士は一代年寄を辞退してこれを継ぎ、その死後は弟子の大関千代大海が継承。北勝海は八角として独立した。

 土俵上での存在感、優勝回数では、昭和後期から平成中期にかけて出羽や二所を上回っていたが、分家筋が長続きしないためか広がりに欠け、年寄数が伸びない。そのため理事選では劣勢で、理事長候補と言われた北の富士、千代の富士ですら理事から漏れる屈辱を味わっているが、平成28年には八角が一門初の理事長となり、長期政権を築いている。

 朝青龍、千代大海が引退した平成22年以降、一門から横綱・大関、優勝力士も途絶えた。29年には高砂部屋に138年続いた関取が不在となったが、1場所で朝乃山が十両に昇進。さらに令和最初の幕内優勝者、そして大関となった。名門復活の救世主となった朝乃山だが、不祥事で転落。層が厚く長年関取の途絶えなかった九重、八角にも翳りが見えて、他の一門に比べてかなり劣勢となっている。

 高砂部屋は三段目まで落ちた朝乃山が関取復帰で14勝1敗と圧倒的な力を見せ、1場所で再入幕かという復活ロードを歩んでいる。その間部屋頭を務めていた朝乃若は、コロナ後遺症が公傷認定されず幕下転落。復帰場所も全敗、他3人の関取経験者同様苦しみそうだ。学生出身を中心に候補者は育っている。

 安定の八角部屋は隠岐の海が引退し、北勝富士もややピークを過ぎた感がある。期待の北の若が十両で苦戦しているのも歯痒い。層の厚い九重部屋も千代鳳に続いて千代大龍が引退。昨年5人もいた幕内力士も、初場所で千代丸が陥落、千代翔馬も幕尻に残れるかどうか。十両力士も次々陥落し、一斉に下り坂。こちらも世代交代が急務だ。

 錦戸部屋は水戸龍がようやく部屋勢初の新入幕を果たすが、関取経験者の極芯道が引退、ずっと番付外の弟子が一人いるだけ。実質一人では喜んでいられない。

 令和の土俵は大波乱の連続で番付に関係なく優勝のチャンスがある。しかし高砂一門は蚊帳の外で、秋場所で北勝富士が9戦全勝でトップに立ったのが唯一の見せ場。それも急失速してしまい、2年連続で優勝どころか三賞も0。朝乃山の復活は近そうだが、それにしても層が薄い。

 

出羽海一門

部屋名 師匠 創設 独立元 OB 現役   備考
出羽海 小城花 江戸期   常陸,栃木 御嶽海 S D D 御嶽陥落
境川 両国

平15 

(中立) 豪栄,岩木 妙義,佐海 C C C 平戸新入幕
武隈 豪栄道

令4

境川  

豪ノ山

E E

D

豪山新十両
春日野 栃和歌

大14

出羽海 栃錦,栃海

栃心,碧山

A C D 栃心転落 
玉ノ井 栃東Ⅱ

平2

春日野 栃東Ⅱ 東龍,東白 C C D 東龍幕勝越
垣添 平5 *入間 皇司,燁司    D E E 継承で改称
藤島 武双山 平22 *武蔵 出島,雅山  武将山 B D D 武将新入幕
武蔵川 武蔵丸 平25 藤島     F D E  
二子山 雅山 平30 藤島   狼雅 E D D 狼雅新十両 
山響 巖雄 平26 *北湖 北太,北桜 (北磨,鳰) D D E  
尾上 濱ノ嶋 平18 三保関 把瑠,里山   C D E  
木瀬 肥後海 平24 北の湖 清瀬,臥牙

宇良,金峰

D B C 金峰新入幕
式秀 北桜 平4 時津風 千昇   E E F →   
立浪 旭豊 大4 春日山 双葉,羽黒

明生,豊昇

A C B 豊昇新関脇

 角界の保守本流と言われる出羽海一門。戦後の協会運営においても、元横綱常ノ花の出羽海から北の湖まで5人の理事長を出している最大勢力だ。長年分家独立を認めていなかったが、昭和の終わりから方針転換。例外的に古くから独立していた春日野、三保ヶ関からの分家も相次ぎ、部屋の数はついに二桁を超えた。

 戦前は幕内の片屋を独占するほどの大勢力を誇り、戦後も千代の山、佐田の山と横綱が出て、栃錦、栃ノ海らを出した春日野との両輪で角界一の大勢力を維持した。その後は大鵬や花籠勢を擁した二所一門に席巻され、三保ヶ関から出た北の湖を擁して巻き返したが、その後の九重勢、二子山勢が独占する時代には、長らく賜杯から遠ざかった。平成10年代に入り、武蔵川が同時に1横綱3大関を擁し、玉ノ井、尾上、境川と新興勢力から大関が輩出する一方、出羽海部屋は100年ぶりに幕内力士、関取までも途絶えるなど、本家筋は苦境を迎えた。

 平成も30年になってようやく春日野の栃ノ心が、出羽海の御嶽海が、それぞれ数十年ぶりに賜杯奪還しのちに大関にもなったが、残念ながら短命に終わった。

 

 御嶽海が初場所を制し、出羽海部屋に昭和期以来の大関が復活したのも束の間、年内に陥落。救世主に続く力士が出ない。

 春日野部屋は元大関栃ノ心が故障休場により十両転落となるが、栃武蔵が新十両優勝を飾るなど次世代が着実に台頭している。

 境川も武隈が独立して将来が不安だったが、平戸海が入幕して活躍。ベテラン佐田の海が敢闘賞を獲るなど復調した。

 木瀬部屋は志摩ノ海が急速に衰え、優勝経験者の徳勝龍も一時幕下に転落。十両は多いが幕内は宇良一人となっていたが、三段目付出の金峰山が僅か8場所で新入幕へ。

 立浪は明生に続いて豊昇龍が関脇となり、定着に成功。大関を狙う。明生も初場所は小結に復帰。かつて出羽海と勢力を二分したライバル部屋が、今や一門を引っ張っている。

 4年2月に独立した元大関豪栄道の武隈部屋からは、連れて出た大卒の西川改め豪ノ山は、早速関取誕生となった。

 5年2月には元小結垣添が、停年近い元栃司の入間川部屋を引き継いで雷部屋を開いた。旧武蔵川部屋の力士としては、4人目の部屋持ちとなった。武蔵川系では、藤島から生え抜き初の新入幕、二子山も初の関取が誕生。元兄弟子の勢いに続きたい。

 おかみと対立して弟子が集団で脱走した式秀部屋は大丈夫だろうか。。

二所ノ関一門

部屋名 師匠 創設 独立元 OB 現役   備考
二所ノ関 稀勢里 令3 (荒磯)   友風 F D D ↑  友風再十両
放駒 玉乃島 令3 *二所  春山,若孜 一山,島津 D D D 島津新十両
芝田山 大乃国

平11 

放駒 若乃島 (魁) E E E 峰崎を吸収
田子ノ浦 隆の鶴

平25

(鳴戸)

稀勢,若里

髙安 C D D

 

西岩 若の里 平30 田子浦     E  
片男波 玉春日 昭37 旧二所 玉海,玉富 玉鷲,玉正 C E D

玉鷲V2

佐渡ヶ嶽 琴ノ若 昭30 旧二所 琴櫻,琴風 琴若,琴勝 A B C

琴若新三役
鳴戸 琴欧洲 平29 佐渡   欧馬 E D D

欧馬新入幕

押尾川 豪風 令4 尾車   (矢後,天風) F E D  

矢後幕下転落

高田川 安芸島 昭49 高砂 剣晃,前臻

竜電,輝

D C C 竜電再入幕
大嶽 大竜 平16 *大鵬 露鵬,大砂 王鵬 D D D 王鵬新入幕
阿武松 大道 平6 大鵬 若荒,片山 阿武咲 D  
常盤山 隆三杉 令2 (千賀) 舛ノ山 貴景,隆勝 D D B →  景勝V3
錣山 寺尾 平15 井筒 豊真,青狼 阿炎,(王輝) D C D

阿炎初V
湊富士 昭57  時津風 湊富,仲国 逸ノ城 E D 逸城V→転落

 長年に渡り、出羽海に次ぐNO.2勢力を長年誇る一門。二子山理事長の時代を除いて万年最大野党の印象があるが、戦後の土俵の上では出羽一門を凌ぐ実績を残している。横綱玉錦が二枚鑑札で引っ張った二所ノ関は、玉ノ海が繋いだ後、大関佐賀の花が大鵬を擁して台頭。出羽海とは対照的に分家奨励の方針で、花籠から若乃花、輪島、片男波から玉の海、佐渡ヶ嶽から琴櫻と横綱が出て、一門として繁栄。花籠から独立した二子山からも続々と横綱・大関が育ち、平成に至るまで一定周期で土俵の中心を占めている。

 平成22年に貴乃花一派が離脱、本家・二所ノ関部屋の閉鎖など分裂危機もあったが、伝統の連合稽古など緩やかながら求心力を保っており、元若嶋津の松ケ根が名跡変更して二所ノ関部屋の看板が復活。30年には解散した旧貴乃花一門の殆どを受け入れ。その間に高田川の加入、鳴門、西岩の独立もあって、擁する部屋数では最多を誇る。

 貴乃花らが引退して二子山時代が終わった平成10年代後半以降は、佐渡ヶ嶽から3大関が出たもののやや下火だったが、29年に鳴戸改め田子ノ浦部屋から横綱、大関が誕生した。さらに貴乃花部屋閉鎖で千賀ノ浦に移籍加入したばかりの貴景勝が初優勝。大関として鳴らしている。

 逸ノ城、玉鷲、阿炎が3場所連続で平幕優勝。さらに復調した大関貴景勝が九州の優勝同点に続き初場所で2年ぶりの賜杯奪回。髙安も前年3度の準優勝と、一門で優勝争いを席巻している。琴ノ若、王鵬も成長を見せている。

 停年ラッシュは落ち着いて新たな動きはなかったが、尾車部屋時に実質継承先の押尾川よりも多くの弟子を連れて二所に移籍した中村(元嘉風)、佐渡ケ嶽付けの秀ノ山(元琴奨菊)が独立予定と伝わる。

伊勢ヶ濱一門

部屋名 師匠 創設 独立元

OB

現役   備考
伊勢ヶ濱 旭富士 平19 (安治川)  日馬,安美 照富,翠富 B A B

 

宮城野 白鵬

昭35 

(吉葉山) 白鵬,明武 北青,炎鵬 B B C 落合快挙
大島 旭天鵬

令4

(友綱) 魁皇/旭富

(旭大星)

C

E

E 魁聖引退
浅香山 魁皇

平26

友綱   魁勝 E E D  
朝日山 琴錦 平30 尾車     F E E  

 多様なルーツを持つ部屋が集合した一門。

 一つは、緑嶌が春日山部屋から独立し、双葉山、羽黒山らを擁して戦前戦後を席巻した立浪部屋を中心とした一門。そして、横綱照國らが活躍した伊勢ヶ濱の一門。さらに、大正期の強豪横綱太刀山が出た友綱部屋や、吉葉山などを擁した高島部屋の流れを組む部屋、大阪相撲の古豪・朝日山などが寄り合い、昭和中期から「立浪・伊勢ヶ濱連合」として定着していた。寄り合い所帯ながら緩やかに繋がっていたが、近年は足並みが揃わず混乱も目立った。

 平成18年に伊勢ヶ濱が閉鎖(19年に名跡変更で部屋名は復活)、さらに24年には盟主・立浪が他一門に流れてしまい、両軸が消滅。それに伴って「立浪一門」、「春日山・伊勢ヶ濱連合」、さらに「伊勢ヶ濱一門」と一門名の改称を繰り返した。部屋の閉鎖や流出が続き、現在は5部屋、年寄数も10名程度の勢力に縮小している。

 伝統ある立浪(現・出羽一門)や旧・伊勢ヶ濱、旧・朝日山の流れを汲む直系は一門から消滅。伊勢ヶ濱一門とは称しているが、友綱・高島の系統が主流。伊勢ヶ濱は安治川が名跡変更したもの。大島も師匠は立浪から独立した大島時代の弟子だが、友綱を継承した後の改称。朝日山は佐渡ケ嶽系統の新興部屋だが、特に揉めることなく一門を跨いで移籍したあたり、旧朝日山の再興と認められているのかもしれない。

 平成に入っての上位陣は、初期は横綱旭富士、中期は大関魁皇しかいなかったが、後期は宮城野の白鵬、伊勢ヶ濱の日馬富士、さらに令和に照ノ富士が横綱となり、伝統の不知火型土俵入りが途絶えない。一門の勢力の縮小とは裏腹に賜杯を独占し、平成トータルでもゴボウ抜きで最多の優勝回数となった。

 

 乱世を終わらせるかに思われた照ノ富士は故障に泣き、1回の優勝をもたらすのがやっとだった。これを支えるべき中堅層が心許ないが、同部屋の翠富士、錦富士は急浮上してきた。それ以外では宮城野部屋が2mの新入幕北青鵬、幕下15枚目付出で優勝して史上初めて1場所で関取になった落合らを擁して未来が明るい。師匠となった白鵬は、高校相撲界の至宝を実業団経由で付出資格を取らせて最短関取にする奇策が成功。早速有望株の独占を羨れている。

 浅香山部屋の魁勝は一時新入幕も近いかと思われたが幕下転落へ。大島部屋は魁聖の引退で関取不在、旭大星が序ノ口でようやく復帰したが、朝日山部屋共々幕下力士もいない苦しい現状。

時津風一門

部屋名 師匠 創設 独立元

OB

現役   備考
時津風 土佐豊 昭20 (双葉山) 鏡里,豊山 正代 A C C 豊山引退
荒汐 蒼国来

平14 

時津風 蒼国来 隆景,元春 E C B 隆景V
伊勢ノ海 北勝鬨

昭24

錦島 柏戸,土佐

錦木

B D D

 

陸奥 霧島 昭49 (井筒) 白馬,敷島

霧馬山

D D D

霧馬新関脇
追手風 大翔山 平10 友綱 追海,黒海 遠藤,大栄 D A C  

 現役時代の角聖双葉山が、元大関鏡岩の粂川から部屋ごと譲り受け、立浪部屋から現役のまま独立した「双葉山道場」が起源。引退後は時津風部屋となり、巡業を共にした伊勢ノ海や井筒などの伝統ある部屋が合流し、古巣立浪とは別の一門を形成した。

 大双葉が率いた時代には角界屈指の大部屋で、粂川部屋時代に入門した横綱鏡里、大関大内山、北葉山、大学相撲出身力士の草分けである大関豊山、と次々強豪が育った。江戸期からの伝統ある伊勢ノ海部屋の横綱柏戸が長年綱を張り、一門は存在感を示していた。

 ところが、40年代に横綱、大関が次々引退すると、鏡里の立田川、柏戸の鏡山、鶴ヶ嶺の君ヶ浜と、なぜか各部屋の出世頭が継承せず独立。次のホープが欲しい時期に部屋の規模が縮小し、世代交代がうまくいかなかった。長らく賜杯も横綱・大関の座も遠ざかった。

 昭和50年代の最後の最後に鏡山部屋の多賀竜が平幕優勝して、何とか一矢。昭和60年代、平成の初めにかけては、君ヶ浜が改称して再興した井筒部屋が隆盛。霧島が大関となり優勝も飾ったが、その後はまた長い空白が訪れた。

 平成20年代に井筒から横綱鶴竜が誕生。大関は霧島以来、横綱となると柏戸以来半世紀ぶりの誕生だった。断続的ながら伝統を引き継ぐ井筒部屋にとっては、昭和初期の3代西ノ海以来の横綱となった。

 令和に入ると、時津風の正代が優勝して大関に昇進。同部屋の優勝は北葉山以来、大関昇進は豊山以来、いずれも57年ぶりの名門復活劇だった。

 比較的安定した体制を維持していた一門にも変革の時が訪れ、平成20年代終盤に追手風一派が合流、錣山、湊が離脱。令和に入って中川、井筒、鏡山が閉鎖。井筒は師匠急逝によるもので、実弟の錣山は既に一門外で継承は認められず。同部屋出身の霧島が率いる陸奥部屋へ合流し、現役横綱が移籍する異例の事態となった。陸奥部屋も井筒部屋から改称した部屋なので、再び統合したという見方もできる。

 

 本家時津風が擁していた大関正代が、4年限りで陥落して上位陣が不在に。豊山も引退してしまった。

 しかし希望はある。

 今一門を引っ張っているのが、荒汐部屋。4年春に若隆景が新関脇で優勝してそのまま定着。兄の若元春も遅咲きながら5年初場所で新小結。井筒、花田兄弟以来の三役同時勝ち越しを記録した。荒篤山も新入幕を果たした。時津風部屋から元幕内大豊が独立した小部屋は、ようやく誕生した米櫃を解雇されるなど苦難の道だったが、奇跡的な復帰、復活を果たした蒼国来が部屋を継承した今、ついに苦労が報われている。

 陸奥部屋の霧馬山も三役に定着し、11勝で新関脇。若隆景と並んで大関を狙う。

 追手風の大栄翔も相変わらず三役常連として活躍。遠藤はやや衰えが見えるが、相変わらず層が厚い。

 伊勢ノ海の錦木も幕内上位まで復活。

 

 土俵上は元気な一門だが、新年早々豊ノ島の井筒が退職。鶴竜も未だ現役名のままで、井筒継承問題がきな臭く燻っているのが気になる。

 

コラム

 この頃取り沙汰されるのが、年寄株の枯渇問題。平成26年に70歳までの再雇用が導入された当時は比較的空きのあった年寄名跡が枯渇。停年5年延長すれば、当然最初の5年間は退職する年寄が激減するので、空き名跡は減る。5年が経過してようやく再雇用終了で退職する人が出てきたが、借り株で凌いでいた親方も取得を狙っており、株不足が続いている。

 再雇用制度は良いが、何も年寄株付きで再雇用しなくても良いだろうという向きもあるが、年寄株の分までしか雇用しないから総人件費が増えないのであって、公益法人が簡単に雇用を増やすのは難しいだろう。同じ理由で準年寄制度の復活も借り株禁止とセットでないとできない(借り株よりは健全な気がするが)。

 その結果、退職後も角界との人脈は重要なので誰も不平を言わないが、惜しまれつつ協会を離れる力士が目立つ。

 

 この一年では、小結5場所を務めた松鳳山。幕内在位58場所の千代大龍。そして関脇豊ノ島の井筒。本人の希望で前向きな門出ということなので素直に受け取って応援したいが、このクラスの役力士が個性的な技の継承をできないのは大いなる損失だ。

3代目の豊山も、一昔前なら出世名とセットで親方株の約束もありそうなものだが、あっけなく土俵を去った。

 

 特に松鳳山のケースは大いに違和感がある。出世頭の松鳳山が引退するタイミングで師匠が停年。ところが部屋は片男波部屋から移籍した元玉乃島の放駒に譲り、自身は再雇用で残った。外から見れば、譲ってやれば一番綺麗なのにと思うが、両者の合意あってのものなので仕方ない。

 

 入間川から雷への継承も、直弟子の元皇司がいたのに別系列からの移籍組へ。それを言い出せば、娘婿でもないのに一門外の後継者に託した例もちらほら。千賀ノ浦、式秀など。かつてはだいたい部屋の継承者が予想できたが、今は全く見当がつかない。

 

 

 とはいえ、停年延長は世の流れ。その分、新規雇用を抑制して人件費をコントロールして、世代ごとの運不運が発生するのは相撲協会に限った話ではない。特に松鳳山、豊ノ島ら1980年代前半生まれはかなり割を食っている。現役時代も1980年生まれの朝青龍、1985年生まれの白鵬という二大横綱の10年余に渡る独占時代に全盛期が重なり、金星のチャンスも僅か。さらに賭博事件や八百長事件では大量の処分者を出した。日本人の上位力士が琴奨菊くらいしか出なかった。それでも長年頑張ってきた結果、待っていたのは借り株さえ困難な引退後の狭き門。むしろ早く辞めた者勝ち。同世代の横綱・鶴竜すら、まだ株の確保が怪しい。

 

 せめて現役を辞めてから後のことを心配できるよう、鶴竜が行使しているような一代年寄の権利を、三役クラスまで広げられないだろうか。引退・襲名興行だけでも落ち着いた身分でやらせてから旅立ってもらえれば、その間は現役に近い体躯でコーチしてもらえるし、怪我や病気を治し、一般社会で働ける体(体重)に調整することもできるだろう。