近代相撲史 時代区分論

 相撲史を語る上で、「○○時代」という呼称が共通認識として使われる。当時最高位にある力士、主役たる力士の名前を冠することで、土俵上でどういう勝負が繰り広げられていたかを思い起こすことができる。いつのころからか、そうした呼び方が一般的になってきたが、完全に定着しているのは、栃若、柏鵬、輪湖くらいまでで、以降は共通認識とまでは言い切れない呼び方をされている。

 まだ時代が浅いからという見方もできなくはないが、柏鵬以降は周りが先走って次の時代の呼称を作り、力士が追いつくという構図だった。

 改めて時代区分論を再考し、現代につながる近代相撲史について考えたい。

1.「○○」時代という呼称

 「柏鵬時代」「輪湖時代」というように、相撲界では当時の強豪横綱たちの名を取って時代の名称とすることがある。

 

(1)いつごろから定着したのか。

 知っている限りでは、このタイプの時代名称は、明治の「梅常陸時代」というものが最古である。人気実力とも拮抗し、角界を二分したと言われる。

 2強は日本人の好みなのか、江戸時代から2人強豪が対立する時代に相撲人気が高まっている。ただ、常に2強時代が続いたわけでもないので、こうした時代呼称だけですべての歴史を連綿と繋ぐことはできない。

 

(2)なぜ、2横綱の名を取るのか。

 これは、複雑そうな問題である。だが、結局その根本はファンが二強対立時代こそが大相撲の醍醐味であると考えているからではないだろうか。

 というのも、実際に実力拮抗の二強というのはめったにない。梅常陸、栃若というのは成績からすれば確かに互角の成績に見える。しかし、柏鵬は周知のとおり、優勝回数大鵬32回に対し柏戸の4回と大差がついている。輪湖も当初こそ優勝を二人で分け合って高度な二強時代であったけれども、やや全盛時代がずれていたこともあって、終わってみれば後半は差がついて北の湖24回、輪島16回。実際には大鵬時代、北の湖時代といってもいい一強時代があったけれども、名称としては「柏鵬」「輪湖」が幅を効かせている。

  

 「栃若」は両者とも若手時代は100キロに満たない小兵で、共に将来を嘱望された存在ではなかった。年も違う。しかし結果として強烈な印象を残す二強の時代を築き、そのころやっと「栃若時代」の名称が言われるようになった。なので「栃若時代」がリアルタイムで語られたのはほんの数年。後世から振り返って、その前数年を含めて「栃若時代」と再評価したというのが本当のところだろう。

 対して「柏鵬」は、均整の取れた大型力士。それも栃若全盛の時代に20歳手前からグングンと出世してきた期待の新人であり、次の覇者を十分に予感させる存在だった。栃若黄金時代に浸っていた当時のファンから、次は柏戸・大鵬が時代を作ると早くも期待されていた。しかも「ハクホウ時代」は古代の「白鳳時代」と重なる美しい響き。「栃若」が現状を謳ったものだったのに対して、「柏鵬」は望まれて用意された時代称号であったといえる。横綱への同時昇進もそんなムードに引っ張られて実現したと見る。両者期待に応えて2横綱時代を形勢したが、あらかじめ期待されたシナリオどおりの結果を求められるプレッシャーは相当のものだっただろう。

 

 柏鵬時代以降、「○○時代」という名称は、現状を忠実に表すものというより期待を示すものとして、やや先走って使われるようになった。柏鵬の次に来る「北玉時代」も、北の富士・玉の海が大関時代から期待されてのもの。北玉の同時横綱昇進も待望のムードがかなり影響したらしい。拮抗ぶりではいい線を行っていたが、周知の通り玉の海が志なかばで急死、一時代を築けなかった。その次の時代は、結果的に「輪湖」となるが、本来は「貴輪時代」が期待されていた。人気抜群のプリンス貴ノ花と蔵前の星・輪島。しかも両者が水入りの大熱戦を演じ、貴ノ花は10勝どまりだったが大関同時昇進となった。まだ両者大関になったばかりではあっても、人気が火はついてしまった以上時代の主役は「貴輪」ということで定着しかかった。「キリン」という響きも、当時大麒麟や麒麟児がいてややこしいとは言え、悪くない。しかし、ほどなく北の湖が急速に伸びて2横綱並立。「輪湖」に取って代わられた。この頃は貴受やら魁貴輪やら北若やらと、期待先行で次代の呼称候補は乱立した。

 とりあえず、強い2人の有望力士がいれば二人の四股名をあわせて新時代のムードを煽るマスコミが喧伝し、次第に定着するのが常態化したようだ。

 

(3)輪湖以降の時代呼称

 どうやら、輪湖の時代以後はこれと言って定着した時代の呼称はない。二強ということで言えば、千代の富士と隆の里が4場所連続で千秋楽相星で当たったときは「隆千代」なる名もつきかけたが、あっという間にポシャッて、いまや跡形もない。長い千代の富士の在位の時代に他にライバルと言える存在はなく、「千代の富士時代」「千代時代」と呼ばれることもあるが、やはり二強の名を取った時代名ほどインパクトある言葉にはならない。ただ時代様相をよく表してはいて、今後定着していきそうだ。

 「千代の富士時代」後の横綱不在に至る混乱期は「戦国時代」とも呼ばれるが、これは固有名詞なのかどうなのかイマイチはっきりせず(北玉時代後の昭和47年ごろを指して戦国時代と称することもある)、共通認識として定着したとまでは言えない。この主役乱立の時代から10年ほどを「若貴時代」と呼ぶ向きもあるが、人気の点では一定の評価は出来ても、時代を引っ張ったという点では一人横綱を含む横綱在位47場所、優勝11回の曙を差し置いて、横綱在位11場所、優勝5回の若乃花が前面に出てくるのも変な話だ。最近になってようやく「曙貴時代」という呼び方が浸透してきている。対戦成績や、並立期間の長さを考えても悪くはないと思うが、やや全盛期がずれて大半は「貴乃花時代」になっていたこと。人気面で多大な貢献のあった若乃花、同時代の後半に力を伸ばした優勝12回の武蔵丸を無視していいのかという疑問。さらに、語感が悪いことも影響しているかもしれない。「あけたか」と読めば何となくいけそうだが、あまり締りのいい感じはしないし、無理な読み方である。「しょ・き」というのもパッとしない。成績的には「柏鵬」よりはよっぽど実態に合っているが、こうした理由もあってなかなか定着しないのかもしれない。

 その次に来たのは「朝青龍時代」。事実上新横綱の15年から一人横綱が史上最長に及び、優勝の頻度もとてつもない、史上稀に見る独走時代となった。マスコミは、白鵬の昇進を見込んで「青白時代」「龍鵬時代」「朝白時代」などと色々考えて見出しにもしたが、各社バラバラで定着に至らず。その後の2横綱時代、白鵬独走時代を含めてこの呼称を使うのも若干無理がある。

 平成15〜18年を朝青龍時代、19〜21年(19年名古屋から22年初場所までの2横綱期間)を「二強時代」、以降を白鵬時代と分けるのが実態にあっているか。

(平成18年初稿、29年改訂)

2.近代相撲史 時代区分論

 上記のように時代呼称は定着しているようで、微妙に認識の差がある。歴史学でも、どのように区分するかは学者によって見解が別れるし、新たな学説が出てきて定着することもある。何を基準に置くかによって区分の仕方は変わってくるからだ。

 1のように優勝を争うような最上位の力士の勢力を基準にするのも、時代区分の1つに過ぎない。

 「郷土相撲史」で取り上げように、出身地をキーにした上位陣の勢力を基準にすれば、戦後は北国の時代、21世紀はモンゴル時代、などという区分もできる。

 部屋の勢力を基準に、九重時代、二子山時代、武蔵川時代などとすることもできる。

 人気を基準にしてしまえば、かなり主観的ながら面白い区分もできる。2010年代は白鵬を押しのけて稀勢の里の時代、00年代はヒールとして朝青龍、万人受けでは魁皇?。90年代は貴乃花、80年代千代の富士、70年代大関ながら貴ノ花(ヒール役北の湖)、60年代大鵬、50年代は栃若。約10年単位で比較的綺麗に色分けできる。

 ただ、やはり時代区分の王道は、定着しているとおり「栃若」「柏鵬」「輪湖」といった土俵の主役を軸にしたもの。1(3)で近年の区分がはっきりしないという話の流れで分析しているが、もう一度各時代を詳細に分析し、ある程度客観性を持たせた時代区分を提唱してみたい。

 (つづく)