昭和50年代生力士論

 昭和50年代生まれの力士がいよいよ表舞台から姿を消しつつある。令和3年初場所、琴奨菊の引退、松鳳山の十両転落で、幕内は玉鷲だけとなった。最後の葉が落ちる前に、この年代生まれの力士の活躍と評価をしておきたいと思う。


昭和51年(ゴーイチ)組

 先陣を切ったのは、昭和51年生の世代。特に高校中退のツッパリ千代大海と、高校横綱で父は元関脇で師匠の玉ノ井というエリートの二代目栃東。十両は千代大海が50年代生まれの一番乗りを果たしたが、やや停滞する間に全階級優勝を果たした栃東が一気に抜き去り、平成8年に新入幕第1号。三賞、三役もトップ通過。すぐにも大関を期待されたが、肩の怪我に苦しむ間に千代大海が台頭。11年1月、優勝、大関を奪取した。

 同場所から千代天山が新入幕から3連続三賞の新記録。12年にかけて若の里、隆乃若の「鳴門の若隆」も三賞を得て、中卒叩き上げが浮上してくる。

 

 1つ下の世代からは、雅山が大学でタイトルを取って中退で入門、幕下十両を4場所とも優勝し11年3月入幕。12年7月に大関昇進。  51年生の大卒勢も上がってきて、12年11月には琴光喜が実質幕内デビュー場所で上位をなぎ倒し三賞トリプル受賞。高見盛も入幕している。

 

 13年には琴光喜が平幕優勝、11月には栃東がついに大関昇進を決める。そして14年1月は千代大海、栃東、琴光喜の同世代による優勝争いとなり、抜きつ抜かれつの展開、琴光喜は大関昇進も見えたが、取りこぼして脱落。千秋楽1差で千代大海がリードして迎えたが、栃東が連勝して逆転で新大関優勝となった。

 これでいよいよ彼らの時代が来たかと思われたが、両大関は綱取りのチャンスを逃し、琴光喜も停滞の末にようやく昇進したのは19年。雅山は13年には早くも大関を陥落、若の里が何度か大関目前までいくが、果たせず。空前の黄金世代と期待されたが、大関3人、優勝7回に留まった。

 世代の旗手となった千代大海、栃東にとっては、前世代の横綱大関の後退期に台頭したわけだが、曙、貴、武蔵は晩年期まで力があり、この世代の魁皇、武双山らの最盛期と重なって、潰し合っているうちに消耗して突き抜けるタイミングを逸してしまったが、自身も晩年まで力を発揮して、次世代の壁になった。

 前後の世代では、50年の追風海(大)、52年の玉乃島(大)、北勝力が関脇に達した。

 

朝青龍

 ゴーイチ組から横綱が出なかった要因として、15−18年にかけて賜杯をほしいままにした朝青龍の存在がある。

 50年代のど真ん中、55年生。プロ野球で言えば松坂世代にあたるモンゴル出身横綱は、留学先の明徳義塾高中退、スピード出世で14年には大関、初優勝と1980年代の先陣を切り、15年3月新横綱。ちょうど貴乃花と入れ替わりになり、2回しか対戦がなく、武蔵丸も休場続きになって、綱取り横綱同士での対戦はなし。前の世代の大関陣も故障がちで抜け駆けを許した。16年は5場所、17年は全6場所を制したので、ラストチャンスを叶える機会はほぼなかった。

 出世のタイミングが琴光喜と重なったが、いつの間にかカモにして、吊り落としはじめ28連勝を記録。栃東を若干鬱陶しがって、張り手やカチ上げで乱暴な顔面攻撃を仕掛けていたが、それ以外の年上世代は全く敵にしなかった。

 やがて60年生まれの白鵬に凌駕され本割7連敗を喫するが、早熟が幸いして5つの歳の差を活かし切り、25回もの優勝を記録した。早く生まれすぎても前の世代に揉まれていただろうし、遅くても黄金期に白鵬の本格化が重なった。

 

 前後5年(53〜57年)の世代に、横綱・大関がいない。関脇には、53年の安美錦(高)、54年の豪風(大)、56年朝赤龍、57年嘉風が達した。いずれも息が長く、朝青龍引退後も長く活躍した。  高校相撲で朝青龍を破った小結普天王が初対戦でいきなり殊勲の星を挙げてキラーに名乗りを挙げたが、それっきりだった。56年の黒海は欧州勢初の三役力士。露鵬、時天空と実績のある外国勢も期待通り早々に出世して三役に達した。

 

58年〜59年世代

 朝青龍と白鵬による優勝率がえげつない全盛期はオーバーラップして訪れたので、50年代後半の世代には好機と言えるタイミングがなかった。

 白鵬と出世を競い、大関に先行した琴欧洲は58年生。朝青龍の7連覇終盤に対抗して大関昇進。59年生の把瑠都は白鵬全盛期にぶつかって、14勝で優勝を逃したりしている。共に1度の優勝がやっとで、「東欧の時代」を築くには至らず。

 入門時から圧倒的な体格で横綱を期待された欧州勢とは対象的に、軽量ながら最高位に駆け上がったのが日馬富士。2横綱健在の時代に大関へ。白鵬が14、13勝するなかで直接対決を制して全勝で連覇し横綱へ。狭い道を見事突破した。

 

 そして外国勢にやや遅れて上位に浮上したのが琴奨菊、豊ノ島。共に高卒で早々に入幕。その後の足取りは緩やかだったが、特徴を活かして上位で面白い存在になった。170センチない豊ノ島も技能を発揮して三役で10勝したが、頭打ちになった。180センチ弱の琴奨菊は増量して出足、馬力相撲に賭けて23年に大関昇進。大関争いを演じた日馬富士や稀勢の里には最後まで強かった。ただ、彼らと同時期に10代で入幕した稀勢の里に注目が集まり、地味な印象は拭えなかった。

 他には34歳で初優勝した関脇玉鷲、阿覧、小結には白馬、松鳳山、若荒雄。いまいち物足りないが、注目したいのは、大卒の役力士が松鳳山だけという点。大挙してはずのモンゴル勢も3人だけ。

 

 大きな要因と言えるのが、23年の八百長問題。一連の事件で、この世代の力士が一斉に引退を余儀なくされた。三役経験者は先述の白馬だけだが、前頭筆頭徳瀬川、光龍、猛虎浪とモンゴル出身の幕内経験者らが引退、蒼国来(中国)も一時解雇された。境澤、山本山ら大学出の実力ある力士も土俵を去っている。問題のメールの当事者である千代白鵬(58年)、清瀬海(59年)と同じ世代ということが災いしたか。これだけの幕内経験者がいれば、世代全体としてもう少し盛り上がっただろうにと、惜しまれる。

 

生まれなかった日本人横綱

 平成28年1月、平凡な大関に甘んじていた琴奨菊が32歳にして初優勝。奇しくも豊ノ島加わっての優勝争いの末に日本勢10年ぶりの優勝を果たしたのは語り草だ。  当時、日本人力士への期待は稀勢の里、豪栄道、栃煌山、妙義龍といった花のロクイチ組に期待は移っていたが、彼らに先んじて賜杯を得て、翌場所は綱取りを期待された。これは昭和50年代生まれの日本人横綱誕生の、最後のチャンスだった。

 

 50年代生の日本人大関の優勝は4度。14年1月新大関優勝の栃東は、翌場所序盤の2敗で2場所突破は苦しくなり、10勝に終わった。7月を14勝で制した千代大海は終盤まで2敗で粘ったが、13日目貴乃花との相星対決で敗れやはり10勝どまり。

 15年3月にカド番12勝での優勝だった千代大海、何とかボーダーの2敗で迎えた13日目から3連敗。15年11月朝青龍との相星決戦制した栃東は黒星スタートから盛り返したが、9日目から平幕に3連敗で頓挫。その後2度の陥落を経て、カド番の18年1月を14勝で制した栃東、11日目に3敗となったが、その後優勝を争う白鵬、朝青龍に勝って12勝で綱取り継続。初めて白紙に戻らなかったが、翌場所は前半で4敗し途中休場。

 その他、千代大海が16年3月に13勝準優勝。当然優勝がノ

ルマになるが、4日目から平幕に3連敗。連敗中に朝青龍の35連勝がストップ。北の湖理事長が13勝以上は昇進の目安になると発言していたので綱取りとみなされたが、連勝への注目の裏であっけなく消滅した。

 さあ、10年ぶりに訪れたチャンスに琴奨菊はどこまでやれるか、非常に期待していたが、場所後は結婚披露宴も重なり、我が世の春状態。引っ張りだこでどこまで集中できたか。中日まで1敗と健闘したが、稀勢の里の変化に落ちてから一気に崩れ、8勝7敗であえなく50年代生まれ男子のささやかな悲願は消え去ったのだった。

 

 昭和50年代生の横綱は朝青龍、日馬富士の2人だけ。40年代4人、30年代5人、20年代5人、10年代7人、一桁2人(千代の山が元年相当の大正15年生)と比べると、昭和一桁世代以来の少なさで、日本人は唯一の0。

 

 昭和4年の朝潮から13年の佐田の山らまでが最長ブランクだが、貴乃花から朝青龍までの8年もそれに次ぐ。昭和61年の稀勢の里以降のブランクは、何年になるのだろうか。

 

まとめ

 厳格な昇進基準、若貴世代の壁、圧倒的なモンゴル出身横綱による独占時代。61組の早い台頭。パワー全盛時代からスピード感溢れるモンゴル勢へのライバルの急激な変化。複合的な外部要因もあり、昭和50年代の日本人力士は大成を阻まれた。平成11〜14年や平成28年以降は絶対的存在が不在でチャンスと言えたが、いずれも年齢的に最盛期にはなく、圧倒的な横綱のいた15年程の間が彼らのピーク。不運があったのは間違いない。

 しかし、多くの名力士は王者の君臨ぶりに関わらず活躍してきた。栃ノ海や日馬富士は、大鵬、白鵬という年下の大横綱の全盛期に短期間ながらも対抗して横綱昇進を果たしている。王者のわずかな綻びを捉えて連覇した若乃花勝、柏鵬、北玉の時代を耐え忍び、30歳過ぎて狂い咲いた琴櫻もいる。

 

 結局は、強大なライバルに食い下がる執念、隙をついてのし上がる狡猾さが足りなかったということになる。悔しい思いを年寄として後進の指導に活かしてほしい。幸か不幸か彼らの出世の壁となった力士たちは角界から早々に去ってしまった。次々と部屋の師匠に収まる日が来るだろう。第2ラウンドでの活躍に期待したい。