平成力士伝

【ダークホース】

 平成大相撲181場所、うち平幕の優勝は9回。20場所に1回の計算だが、平成3年7月からの7場所で4度記録されているので、実感としてはもっと珍しい。昭和中期までと違って終盤割を崩して上位戦が組まれるため、そう簡単に賜杯をかっさらうことはできない。そんな状況でも下剋上を起こした力士たち。必ずしも大成したわけではないが、奇跡というだけでは片付けられない実力を持っていた。

 最も衝撃的だったのはやはり琴富士か。前頭13枚目、関脇経験があったとはいえ入幕から数年経って実力も知れていた時期だけに、不調とはいえ横綱大関も真っ向退けて優勝するとは誰も予測できなかった。平幕優勝自体も7年ぶりだったが、翌場所も同部屋の琴錦が制し、2場所連続平幕優勝。戦国時代を呼び込んだ。翌年には貴花田が10代で制し、30歳手前の水戸泉はスロー優勝を果たした。5年3月の小結若花田の初優勝も、小兵が曙貴のライバルに名乗りを挙げた鮮烈な番狂わせだった。

   翌場所以降5年以上も横綱大関で賜杯を回す時代になり、まさかの展開はなくなったが、久々に驚かせたのは、10年11月琴錦の2度目の平幕V。土佐ノ海とともに平幕2人で引っ張り、追い上げる貴乃花を破って逃げ切った。7年ものブランクは空前絶後の最長記録。ここから時代は荒れ始め、12年3月にはやはりベテラン貴闘力が幕尻で優勝。最終盤に横綱に連敗、千秋楽も敗れれば4人以上での決定戦だったが、新進気鋭の雅山を奇跡的な逆転で破った。二子山の栄華を駆逐しつつあった武蔵川部屋の6連覇を止めた点でも印象深い。

   同年九州には、琴光喜が1横綱3大関を食って横綱曙を1差につける衝撃的な幕内デビュー。翌年には上位に休場者が相次ぐ中、在位7場所目での平幕優勝を果たす。

    以後は朝青龍、白鵬の時代が来て隙が生まれない。平幕が最後まで優勝の可能性を残すことも目立ったが、逆転の可能性が薄いと見て最後まで上位戦を組まれないためで、実際審判部の読み通りに終わった。16年5月は朝青龍の35連勝を止めた平幕北勝力がその勢いで千秋楽まで首位を走るが、惜しくも逆転敗退。22年11月には再入幕の豊ノ島が63連勝が止まった白鵬と並走、対戦のないまま1敗同士の決定戦となるが敗れている。18年には把瑠都、19年には豪栄道が新入幕で活躍したが、上位力士に屈した。

   10年ぶりの大番狂わせは、24年夏。白鵬が中盤で4敗となり、他の上位も自滅して大混戦の中伏兵が浮上。史上初の平幕同士の決定戦となり、37歳旭天鵬栃煌山を下して史上最年長優勝。6年ぶりの日本人優勝ながらモンゴルから帰化したばかり。こんな展開でも優勝できない和製力士と嘆かれ、あと4年も待たされることになる。

    上位独占の時代は続いたが、6年ぶりの平幕優勝は突然やってきた。30年初場所は2横綱が途中休場。一人全勝の鶴竜が終盤突然の4連敗を喫し、上位戦を終えて1敗の栃ノ心がそのまま走り切って初優勝を飾った。外国人力士の平幕優勝は、高見山以来だった。

    平成期に平幕優勝を起点に大関になったのは、栃ノ心だけ。琴錦は翌場所も優勝を争ったが、怪我で頓挫。3場所34勝と好成績を続けた琴光喜も見送りを食って大関まで5年を要した。のち横綱となる貴花田はジンクスを破ったと言われるが、翌場所は5勝10敗。琴富士、貴闘力、旭天鵬は翌場所勝敗がひっくり返るほどの大敗を喫した。かなりの精力を使い果たすらしいが、たとえ一度きりの活躍でも長く記憶に残ることになる。

 

【大物食い】

 格下が上位陣を倒す瞬間は、何とも新鮮な驚きがあるが、当たり前のように格上を倒し、インタビュールームの常連となる力士がいる。大関昇進の基準が厳しかった平成時代は、関脇以下にそんな強豪がゴロゴロいた。

 平成最初にして最強の上位キラーが、安芸乃島である。昭和最後の年に藤島部屋から初めて入幕した短躯の力士は、4横綱から金星荒稼ぎ、僅か3年ほどの間に高見山が持つ最多金星記録を更新。大関小錦には初顔から6連勝。大乃国にはトドメを刺した。その後は上位陣が同部屋ばかりの時代になり、曙、武蔵丸からは1個ずつに留まったが、6横綱から16金星、殊勲賞7回を含む三賞18回は不滅の記録だろう。特に若い頃は「強きを挫き弱きを助く」と皮肉られた取りこぼしの多さが響き、大関昇進どころか三役にも定着できなかったが、それが金星乱獲につながった。

 大関在位最長タイの魁皇も上位キラー時代が長かった。ほぼ三役にあっても金星は6。横綱を倒し続けて稼いだ殊勲賞は朝潮に並ぶ10回。

 大関に迫るほどの成績を残したわけではないが上位に強い力士といえば、金星史上2位タイ12個を記録した栃乃洋、4位11個の土佐ノ海。いずれも平成10〜12年の荒れた時期に稼いだことが大きいが、土佐ノ海は曙・貴の2横綱時代に2度1場所でダブル金星を得るなど、複数金星の場所が4場所。三役でも活躍し、殊勲賞7回など史上7位の三賞回数を誇り、武蔵丸最後の相手となった。対して栃乃洋は複数金星は1場所だけ。細く長く稼いだことで2位に浮上したが、金星の場所で勝ち越したのは3回だけで殊勲賞は3回止まり。上位定着が難しくなってきた晩年にも朝青龍に一矢報いており、最も上位キラーの称号が相応しい力士かもしれない。

 中期に入幕した力士は不安にも金星を稼ぐチャンスは少なくハードルも高かったが、平成の供給王日馬富士が出て来て多少環境は緩和。遅咲きが幸いした嘉風は4横綱から均等に8金星を稼ぎ、若手の北勝富士は4場所連続獲得のタイ記録を残した。

    

 

【ファイター】

 まず浮かんで来るのが貴闘力。千代の富士を引退に追い込み、度々曙にも土をつけるなど大物食いの面もあるが、殊勲賞相当の場合でもその印象から敢闘賞に回ることが多かった。はるかに大きな曙との睨み合い、張り手混じりの激しい突き押しなど闘志あふれる姿勢が、闘士の印象を焼き付けた。最後となった10回目の敢闘賞は優勝とともに獲得。

    寺尾の闘志も目立った。千代の富士にひるまず突っ張りを浴びせて吊り落とされた一番や、18歳の貴花田に11連勝を許した一番での下がりを叩きつけての悔しがりようは有名。通算最多敗戦記録保持者は、負け姿も絵になった。もちろんタイフーンの愛称がついた回転の速い突っ張りでの健闘あってこそ。

 小兵の旭道山もタイプとしてはこちらか。南海のハブと恐れられた一発KOの張り手。100キロそこそこの軽量ながら頭から突っ込み、土俵際では捨て身のうっちゃり。

 闘魂の大関千代大海も、武双山との張り手合戦で名を上げ、突っ張り大関として10年も君臨した。

 

 

【技能派】

   技のデパート舞の海に、モンゴル支店旭鷲山。本家は小兵らしい食い下がる体勢からの捻り、内無双、切り返し、内掛け、足取り、果ては三所攻めまで品数随一。猫騙しに八艘飛びまで繰り出し、予想もつかない取り口で魅了した。支店の方は、モンゴル相撲仕込みの珍手連発。裾取り、外無双といった技も取り揃えた。「センセイ」智ノ花は十両時代に居反りを披露するなど多彩な技で舞の海の向こうを張り、決まり手数では上回った。里山はイナバウワーばりの伝え反りで何度か逆転勝ちを収め、アクロバット相撲と驚かせた宇良は襷反りを披露。

    異能集団の活躍は華やかながら散発的だったが、おっつけを軸にした若乃花栃東を旗頭に、正統派の巧者の系譜は途絶えなかった。井筒勢は鶴ヶ嶺以来の伝統の双差しを、逆鉾から鶴竜へと伝承。ついに横綱まで導いた。巻き替えからの双差し速攻なら、ベテラン時代の琴錦らも。出し投げ名人は減ってしまったが、霧島に始まり、琴光喜朝赤龍なども綺麗に決めた。上位では鶴竜が一番だろうか。

 小兵が減った時期に奮闘した海鵬の左下手投げ、内掛けは爽快。貴乃花に引導を渡した安美錦は、出し投げ、土俵際の魔術、後年巨大化してからの速攻。平成を代表する技能派だ。平成後半を代表する業師といえば時津風勢も忘れがたい。170センチに満たない豊ノ島は左差し手からの投げ、双差しの妙技で三賞10回。時天空は二枚蹴りなど多彩な足技が出色。晩年は立合いのけたぐりを乱発。

 

【スピードスター】

 F1相撲の琴錦が席巻。力士運動会で驚異的なタイムを叩き出した俊足旭道山など高速力士の相撲は目まぐるしかった。縦に速い力士だけでなく、下へ横へと消える若乃花舞の海嘉風も速さでは負けていない。上へと消えた舞の海の八艘飛びは専売特許かと思いきや、琴錦、追風海のように運動神経を活かして継承する力士も出た。

 また、トレーニングの進歩で、動ける巨体を持った力士も多数出現。馬力を伴った出足の武双山出島の突進力も見逃せない。近年では妙義龍の速攻が印象的だ。見た目に派手な速さではないが、総合的な動き、反応の速さでは豪栄道も優れている。

 踏み込みの速さなら、横綱白鵬千代の富士日馬富士以上の速度を計測。客観的な指標が出せるようになり、絶対的な基準で比較できるようにもなってきた。他のスポーツでは進んでいるこうした分析も、次の時代には急激に一般化していくかもしれない。

 

【怪力伝説】

 昭和期には、導入されていても否定的な声の多かったウエイトトレが一般化。上体のパワーでは、明らかに前時代を圧倒している。

 昔ながらの力強さで魅了したのが魁皇。りんごの握り潰しで有名になった右腕で、上手を掴んだだけで場内が沸き、期待に応えて豪快な投げで転がした。若の里もポパイと呼ばれた師匠譲りの盛り上がった筋肉、力強い相撲で大関級の力を発揮。上手からでも、掬い投げでも腕力を発揮した。

 メガトン級の突き押しで猛威を奮った武蔵丸の右は、後年差して真価を発揮。丸太のような腕を返されれば、どんな相手も根こそぎ浮き上がった。右の腕の返しといえば、高見盛もこの一芸で一世を風靡した。

 貴ノ浪はワキが甘くしょっちゅう両差しを許したが、肩越し上手や閂に決めて強引に抜き上げた。

 把瑠都のパワーも規格外。貴ノ浪同様強引に抜き上げる力が凄まじく、肩越し上手からの波離間投げが豪快だった。

 

【鉄人・レジェンド】

 驚異的な持続力を発揮したベテランたちがいた。

 昭和にも出羽錦、大潮、大錦、麒麟児ら息の長い力士はいたが、30手前でベテランと呼ばれていた。平成初期にも隆三杉、大卒の栃乃和歌などが高齢まで溌剌とした相撲で長年活躍したが、30台半ばで相撲を取る力士は稀だった。

   そうした中で、鉄人と呼ばれたのが寺尾。上記のとおり闘志あふれる突っ張りで鳴らしたが、年を重ねても取り口は変わらず、衰えた威力は円熟のいなしのタイミングでカバー。昭和60年から平成14年まで。サンパチの生き残りは、39歳まで関取を保った。

 レジェンドと呼ばれたのは旭天鵬。同期の旭鷲山に比べて地味な存在で三役に定着することもなかったが、長身を活かした相撲は衰えを見せず淡々と平幕中上位にあった。すると37歳にして最高齢初優勝を果たして一躍名を挙げ、ついに40歳に達した26年11月には7度目の敢闘賞を獲得した。

 旭天鵬と初土俵、引退とも同じ場所の若の里は大関目前までいった強豪。関脇に定着し、朝青龍ら上位を苦しめて三賞10回。師匠ゆずりのポパイのような筋肉を誇り、下半身の怪我に苦しみながらも長く現役を続け、39歳まで取った。

 幕内にありながら佐渡ヶ嶽部屋の継承のため引退した琴ノ若も、37歳まで力を発揮。朝青龍を裏返したのに取り直しになった一番は語り草だ。

 舛田山の学生相撲出身の最長在位記録を更新した土佐ノ海は、39歳で再入幕の記録も作った。これを更新したのは豪風。27年には、弟弟子の嘉風が記録したばかりの最高齢初金星を同じ場所で35歳に更新し、39歳まで関取を努めた。嘉風も30歳を過ぎてから上位で活躍。同時期の玉鷲も同様で、20代は下位で推移していたのに年齢を重ねて強くなり、34歳で初優勝。超晩成型が増えている。

 平成の最後には、安美錦も40歳関取となり、幕内を窺っていた。

    関取未経験でも、華風、一ノ矢といった40代後半まで記録的な長さの現役期間を誇る力士も登場した。

 

【パフォーマー】

 成績や相撲内容だけでなく、風貌や所作で注目を集める力士もいる。昭和なら古くは出羽ヶ嶽、戦後は出羽錦や大内山、信夫山、高見山など。

 豪快な塩まき、ソルトシェーカーの系譜は水戸泉から北桜、照強と引き継がれた。逆に塩を叩きつける朝乃若は、カエル仕切りや蛍光カラーの廻しなども目立った。

 イチローなどが有名にした「ルーティン」を取り入れる力士も増え、高見盛のロボコップダンス、琴奨菊の琴バウアーなどが、制限時間いっぱいの高揚感を煽り、観客参加型の名物となった。琴勇輝、千代鳳の「ホウッ」と一声入る咳払いは、白鵬から見苦しいとダメ出しが入るなど、一部のルーティンには賛否両論あった。

 四股の美しさで魅せたのが片山。高々と真っ直ぐに上がる足は注目された。

 パフォーマンスではないが、豊真将の折り目正しい所作は評価が高かった。