令和大相撲5年史

「下剋上」「横審決議」「幕尻優勝」「平幕優勝続出」「元大関の黒廻し」序二段からのカムバック」「横綱大関」「上位陣不在」「押し相撲全盛」「パワハラ」コロナ禍」「ガイドライン違反」「三段目付出」「定数削減」

 

君臨すれども出場せず 散り際のないまま横綱去る

 西暦2019年5月1日から始まった令和の時代。初場所で稀勢の里が引退、春場所千秋楽の直接対決を制した貴景勝が栃ノ心と入れ替って大関となり、夏場所は2横綱3大関でスタートした。30代半ばに差し掛かった両横綱には、年6場所どころか2、3場所皆勤を続ける体力も残っておらず、出れば優勝を争う力はあるものの、横綱不在も珍しくなかった。大関陣も故障がちでその穴を埋めきれず、関脇以下の優勝が増加。ところが大関から平幕上位の実力が拮抗して潰し合い、なかなか突き抜ける力士が現れない。たまに出て来る横綱を仕留め切れないどころか優勝まで攫われて、また休む余地を与えてしまう。

 ろくに本場所を務められない横綱陣に業を煮やし、ついに横審が鶴竜、白鵬に対して注意決議をするに至った。そして令和3年になってついに両横綱が引退したが、鶴竜は準優勝の翌場所初日に負傷して長期離脱したまま。白鵬は7場所ぶりの出場ながら負けることなく花道を飾って去ったので、とうとう世代交代らしき瞬間は訪れないまま、時代が終わった。白鵬の在位は14年に及び、史上最多の優勝回数は45回まで伸びた。長すぎた晩年期には批判が賞賛を上回ったが、最後まで幾多の後継候補を寄せ付けなかった。

 

令和の主役は? 奈落の底から這い上がり、若手を凌駕

 新元号、令和大相撲の主役と期待されたのは対照的な2人。

片や、平成大相撲とともに劇的な相撲人生を終えた貴乃花の遺弟子。師匠との別離直後の初優勝から平成最後の3場所で好成績を収め、新大関として令和を迎えた22歳、アンコ型の押し相撲・貴景勝。此方、100年ぶりに関取の途絶えた高砂部屋に現れた大器。令和初の本場所で平幕優勝を果たし、トランプ大統領の面前で賜杯を受けた25歳、長身の右四つ本格派、朝乃山。

 ところが貴景勝はいきなり怪我で最短陥落の憂き目に遭い、1場所で復帰を決めた勢いで進んだ優勝決定戦でまたも負傷。令和2年は年間最多勝をマーク、優勝3度、同点3度を記録するが、怪我と縁が切れず角番も7度。期待されつづけた綱取りは果たないまま、万年大関となりつつある。決まり手の総数で寄り切りを押し出しが上回る時代の象徴的な力士。押し一筋での頂点は、見果てぬ夢なのか。

 朝乃山は11月場所でようやく新小結ながら、平成31年・令和元年の年間最多勝を取り、翌年にはすんなり大関へ。貴景勝とは真逆の懐の深さを活かした典型的な横綱相撲を期待された。惜しまれるのは大関デビュー場所のコロナ感染拡大での中止。待たされた7月、白鵬の連敗により首位タイに躍り出たが、相星の幕尻力士に敗れ、逃げ切りを許した。その相手は天敵となり、その後も優勝への障壁となった。停滞の中、3年5月に外出ガイドラインの違反が発覚して6場所の出場停止処分。屈辱に耐えて三段目から出直し、5年5月は再入幕で優勝争い。ところがあの天敵がまたも立ち塞がった。横綱になっていた因縁の相手に挑むが、返り討ちにあって4度目の準優勝に終わった。

 朝乃山の壁となった天敵とは、平成最後の場所を序二段で迎えた照ノ富士。横綱確実と目されたかつての大関が、批判覚悟で史上初めて黒廻しを締めて土俵に上がり、復帰1年で再入幕。新大関朝乃山には逆風となった2年夏場所の中止も、回復期間となって追い風に。そして再入幕でいきなり優勝。翌春には再び賜盃を抱いて大関復帰。連覇。奇跡の復活どころか最高位を窺う立場となった3年7月場所は、令和序5年のハイライトとなった。14戦全勝でほぼ綱取りを確定させた照ノ富士、千秋楽の相手は同じく14戦全勝の白鵬。7場所連続休場明けの最強横綱を屈服させ、名実ともに覇権奪取を示す最高の舞台が整った。ところが、令和初の全勝力士の栄誉を手にしたのは白鵬だった。長らく批判の的だった張り手、エルボー気味のかち上げから、腕をへし折らんばかりの小手投げを決め、禁断のガッツポーズ。前日の二字口まで下がっての仕切りに続き、数年来の鬱憤を晴らすかのように勝利への執念を見せつけて、感染防止で全休した翌場所後、電撃的に引退してしまった。

 自力での覇者交代を果たせぬまま一人横綱となった照ノ富士だが、新横綱優勝に続いて九州は初の全勝で制した。年間優勝4回、77勝を記録して、60勝にも満たない最多勝力士が続いた乱世を治めたかに思われた。

 ところが、翌年に入ると急激な番付上昇に耐えてきた膝の調子が悪化。終盤疲れが出て急に失速することが増え、4場所連続休場、復活優勝を挟んで3場所連続休場と前世代の横綱と同じことが繰り返された。

 史上最大の復活劇が令和5年史のメインストーリーであることに疑いようはないが、幕内で皆勤したのは令和大相撲の半数にも満たない12場所では、うち7場所を制したとはいえ主役と呼んでいいものか。進退が心配される中で令和最初の5年は終わった。

 

「横綱大関」が復活 大関落ち着かず上位陣2人に

 令和元年は大関受難の年となり、夏に栃ノ心が10勝して大関復帰を果たすも、貴景勝が新大関から連続休場し、再大関となった栃ノ心も最短で陥落。次期横綱と期待されていた高安までが腰痛などでまさかの陥落。2年初場所で連続負け越しとなった豪栄道は引退し、いよいよ大関は復帰を果たした貴景勝ひとりだけになったため、昭和57年以来となる横綱大関の文字が番付面に復活した。同年秋に優勝した正代が昇進してこれを解消し、4年初で3回目の優勝を果たした御嶽海も昇進。これでしばらくは安泰かと思われたが、いずれも長続きせず4年後半に相次ぎ陥落。5年初場所は再び横綱大関が登場した。横綱も1人しかおらず、上位陣2人は奇しくも平成5年初場所以来。しかも2人とも故障がちで、春場所は両者休場し昭和以降初の完全上位不在。関脇が交代で結びの一番を務める事態となった。いま横綱が引退したら、大関が陥落したら、無理やり大関を作るのか?本気で心配される事態となった。

 

関脇小結を定数緩和 大関争い激化

 三役で優勝した力士も多く、大関候補には事欠かなかった。令和3〜4年ごろは横綱、大関の人数が減って、しかも不振続き。あわや3大関揃って皆勤負け越しかという体たらくもあり、幕内上位に好成績者が続出して勝ち越しても半枚も上がれないほどの渋滞が発生。ついに長年頑なに守って来た3人目の関脇、小結を置かない運用を緩和したが、続々と突き上げてくるので、なかなか元に戻せず、61年ぶりの4関脇4小結にまで膨れ上がった。4関脇揃って二桁勝利の快挙もあり、史上初のトリプル昇進かという場所もあったが、潰し合いも激しかった。5年には霧馬山改め二代目霧島、豊昇龍がそれぞれ優勝、大関となったが、大栄翔、若隆景・若元春兄弟と日本勢は上がり損ね、代わって2代目琴ノ若が親子関脇となり、さらに2代目琴櫻に出世すべく大関に肉薄した。

 

波乱相次ぐ 5年連続平幕優勝

 三役未経験の朝乃山の優勝で幕を開けた令和は、平幕優勝がかつてないほど頻発。5年弱で7人が記録した。再入幕・幕尻優勝も徳勝龍、照ノ富士が相次ぎ記録。令和4年名古屋からは史上初の3場所連続(平成3年以来の連続)。平成30年から5年連続で記録された。令和5年も、千秋楽まで伯桜鵬が首位タイで100余年ぶりの新入幕優勝かと騒がれ、再入幕熱海富士も決定戦まで進むなど波乱含みだったが、結果的には全場所関脇以上が制した。随分と長引いた乱世だが、ようやく収束するのだろうか。

 

コロナ禍と新弟子の減少

 この5年間、特に2年から4年にかけて、大いに角界を苦しめたのは新型コロナウイルスの感染拡大。糖尿病など基礎疾患持ち揃いの力士たちにとって危険極まりないが、相撲で濃厚接触は避けられない。3月は無観客で奇跡的に感染者を出さずにやり切ったが、5月は中止を余儀なくされ、感染者相次ぎ、死者も出てしまった。7月以降は東京で無観客、入場制限と規制の中で開催したが、感染者の出た部屋は即全員休場(原則番付据置)などの異例の措置が取られ、取組、番付編成にも影響が出た。

 先述の朝乃山のように外出禁止を守らず歓楽街へ出掛けた力士、親方のスキャンダルが世間を賑わした一方、感染の不安を理由にした休場を認められなかった力士が、引退に追い込まれたとして訴訟を起こす事件も発生した。制限解除後も客足は鈍く、経営的にも大打撃を受けている。

 減少傾向が懸念されていた新弟子は、ついに前相撲なしで出世(1名以下)という前代未聞の事態も発生した。総力士数が減少し、三段目が10枚削減されるなど番付にも影響が出始めた。コロナ後はさすがに戻ってきたが、力士の減少傾向は近い将来層の薄さ、競技レベルの低下へと繋がり、人気低迷がさらに新弟子獲得を難しくする。10年にわたる外国勢による賜杯独占。和製横綱の不在。日本人力士でも学生相撲出身者が関取の多くを占め、中卒叩き上げ力士は髙安、隆の勝らごく少数。未経験者が将来の活躍を描きづらい現状が、スカウト環境を厳しくしている。ついに体格基準まで実質廃止して門戸を広げ、付出の対象も増やしたが、効果は出るだろうか。大学選手権のベスト8~16くらいに進出してくる小兵の業師たちのプロ入りを後押しすることにはなるかもしれない。