横綱分類

昭和以降の歴代横綱の実績を精査し、カテゴライズする。

優勝回数などメジャーな指標だけでなく、詳細な記録も比較している。

順位付けまでは考えていないが、新パラメータ版での力士掲載は時代順ではなく

本稿で分類したカテゴリー順に掲載していきたい。

序論

  

 横綱を分類するというのは思った以上に難事業だ。

大横綱は優勝20回、強豪横綱は優勝10回を基本線として、大体の世評・通説というのもあるので案外あっさり区切ってしまえたが、本当に難しいのはここから。中堅から実績の乏しい横綱(表現が難しい)あたりは、あまり誰が誰より上だと語られることが少なく、定評というものがない。

そこで、仕切り直して歴代横綱の成績を洗い出し、再評価するに当たって重要なデータを整理することにした。

通常、優勝回数や在位場所、連勝記録といった分かりやすい指標で語られる横綱の優劣。

しかし。野球界ではいつまでも打率、本塁打、打点、勝利、防御率の時代ではなく、今更ながら「王貞治のOPSはー」と、より実質的な基準で過去の選手の貢献度を図ろうとしている。

同様に、角界の名力士を、より実質的な指標で貢献度を再評価してみたい。

案外イメージよりも検討している項目があったり、面白いかもしれない。

第5篇の制作は少し置いて、横綱比較作業の経過を本コーナーでも紹介していきたい。

 

 

総論 カテゴライズを進めていくと、定説化している大横綱も再検討すべきではという思いに至った。 

 いきなり問題になるのが常ノ花。一応記録の取れる大正期も含めて比較したが、どの成績も大横綱か強豪横綱と遜色ない。率は軒並み優秀で、在位中優勝回数でも年3〜4場所の時代にありながら、ベスト10入り。大横綱という称号で呼ばれているのは聞いたことがなく、切腹した人という方が通りが良いが(筆者は、戦後に腹を切った人を三島由紀夫とこの人しか知らない)、堂々たる実績だ。

 この常ノ花を大横綱とするなら、優勝回数は一桁ながら勝率などが素晴らしい玉錦はどうか。場所数が少なくて良いなら、玉の海も資格がある。と議論が連なっていく。この2人は勝率など安定感を示す指標が大横綱たちを上回っている。もちろん在位場所の少なさと現役死による晩年期の不存在は割引かないといけないが、玉錦の享年は引退してもおかしくない34歳、二枚鑑札ですでに部屋も率いていた。

 

 ここで、改めて分類に係る要素を記載する。

 大横綱の基準としては優勝20回というのが定説化している。一代年寄の基準もそう言われている。もちろん双葉山など年2場所時代の場合は補正した上で考えるが、どういった指標を用いて補正するべきか。

 従来の横綱の評価の決め手となるのは、やはり通算優勝回数。確かに昭和以降はそれが個人の最高の目標になるわけであり、より安定的な強さを比較しやすい勝率が良くても、優勝が少なければ大一番に弱いということだから、単純とはいえ一定の正しさはある。

 続いて、在位場所数。成績は反映されないが、不成績では引退するしかないのが横綱の不文律。長く在位したということは、それだけ横綱の地位に君臨できたという証。看板たる横綱は存在するだけで価値のある存在である。ただ、引き際が鮮やかな方が、休場を繰り返して居座っているよりも評価されなくなる問題点を抱えている。在位だけなので、年の開催場所数を単純に換算してもそれほど無理はないので、比較には堪えやすい。

 横綱勝率もよく用いられる。勝ち負けの総数が影響するため、優勝に届かなくても好成績を挙げれば評価は高くなるので、いかに安定していたかを見る基準として有用。率なので、母数の違いがあっても比較可能。ただ、母数が大きいほど価値は高いだろう。ピークを過ぎて長く現役を続けていると徐々に低くなり、あっさり辞めた方が高止まりする。スパッと辞めるのが横綱だという考えで言えば、それで良いのかもしれないが、全盛期に現役死した玉の海などはさすがにそのまま比較して良いものか、迷う。

 この三つが評価の中心となるが、優勝争いに残ることも場所を盛り上げる功績と考え、準優勝以上の回数・率、12勝以上の回数・率も加えた。優勝争い圏外での消化試合の星1つ2つまで拾い上げてしまう勝率よりも、貢献度を測ることができる。

 一方で、余りに酷い成績や、易々と金星を与えて平幕力士の賃上げを許すことは、横綱としてマイナス。乱調の場所数・率、与金星率(平幕戦の敗戦率)として低い数値なら評価する。これを避けるために休むのは一つだが、本場所に穴を開けるのもマイナスなので、出場率から実質在位場所数も算出して、欠かさず土俵を努めたかも明らかにする。

 これらも補足的に用いながら、横綱の貢献度を洗い出し、カテゴライズに役立てた。

 

 その結果、下記の分類が最もバランスが良いと考えるに至った。

 その根拠、境界線は連載形式で追って紹介していく。なかなか楽しい作業になった。

 ちなみに、横綱相撲を取ったとか、土俵外の品格がとか、同時代のライバルが強豪揃いだったとか、数字で評価しようのない主観的な補正はしない方向で、あくまで成績をもとに分類する。

 

大横綱    

 双葉山9 大鵬29 北の湖22 千代の富士29 貴乃花15 朝青龍23  白鵬41

準大横綱   

 常ノ山8 玉錦4 羽黒山6 玉の海4

強豪横綱A  

 栃錦6 若乃花8 輪島12 曙8

強豪横綱B  

 北の富士7 北勝海6 武蔵丸7 

中堅横綱A  

 柏戸4 佐田の山3 若乃花Ⅱ3  日馬富士5 

中堅横綱B  

 照國2 東富士5 千代の山3 鏡里3 鶴竜5

瞬発型横綱  

 隆の里2 三重ノ海2 旭富士1

一発型横綱  

 朝潮1 栃ノ海1 琴櫻1 大乃国1 稀勢の里1

名大関型横綱  

 武蔵山0 男女ノ川0 安芸ノ海0 前田山0 吉葉山0 双羽黒0  若乃花Ⅲ0

(数字は横綱在位中の優勝回数)

 

 

 目的は、本サイトで掲載する順序を決めること。分類作業で見えてきた横綱の特徴も、サイト内の分析記事に反映していきたい。

 

 

大横綱と強豪

 

大横綱・準大横綱

 

前稿で少し触れた「大横綱の定義」も見直そうとしたが、やはり大横綱は大横綱。データを見ても多くの項目でベスト10を外さない。昭和・平成大横綱7人の地位は不動だ。あえてA/Bに分けるとしたら、通算優勝30回が目安になり、年2場所制下で優勝12回、勝率1位の双葉山をAに振り分ければ良いか。

不動の大横綱に食い込もうかという成績を残している強豪が、常ノ花、玉錦、羽黒山、玉の海。年6場所制以前だったり、急逝したりで、近年の横綱(大鵬以降)とは条件が違い、単純に比較しづらい。名球界の資格基準・200勝を、中6日登板の時代の大投手にどう当てはめるかというような話だ。

一番わかりやすい優勝回数、在位場所数が、彼らは少ない。同じような条件下に換算するのもタラレバの世界で、説得力を欠く。大横綱に匹敵するという根拠は、玉の海.867(3位)、玉錦.852(5位)、常ノ花.809(10位)、羽黒山.788(12位)という高い横綱勝率。さらに目立って低い与金星率。年間最多勝の獲得回数も多い。

この中では、羽黒山だけが毛色が違って在位12年余。晩年期が長く、それゆえ勝率が唯一8割を割っている。出場率も7割ほど。与金星率も唯一1割を超える。優勝率も2割に留まるなど、各項目とも平凡だ。だがこの辺りは戦中、戦後の危機の時代という背景を斟酌したい。年1場所しか開催のなかった昭和21年を挟み、32連勝、足掛け3年に渡って4連覇、5回の年間最多勝は、有利不利を差し置いて凄い。その実績ゆえに、大怪我を負って苦しみながらも、簡単に途中休場や引退を許されなかった。とにかく君臨することに意義があり、結果38歳まで綱を張った。途中休場も増えて成績を落としたが、それでも8割近い勝率を残したことは評価できる。もし怪我で長期離脱したまま土俵を去っていたら、その時点で横綱として在位12場所、優勝5回、勝率.861(4位)。幻の最強力士候補にも名前が挙がったかもしれない。

そのほかの3人は、玉の海は満開寸前、玉錦は全盛後間もなく散り、常ノ花も力を残して土俵を去った。それゆえ羽黒山のように怪我や衰えで貯金を食いつぶす暇がなかったため、高い率が残っているという見方もできる。

特に玉の海は、在位10場所ながら歴代唯一のフル出場。9勝が1度ある他は全て12勝以上かつ準優勝以上で、平均13勝。与金星率も最も低い。優勝4回が少なく感じる充実ぶりだったが、当時27歳とやや遅咲き。健在ならどの程度の成績を残したかはファンタジーの世界になるが、輪湖時代初期までの不安定ぶりを見ると4年くらいは年3回ペースで制し、優勝20回に達していても不思議ではないが、30回に達するには千代の富士くらいの長寿命が必要で、ちょっと現実的ではないか。

玉錦も大鵬に次ぐ勝率で、優勝率などもベスト10位入りとバランスが良い。常勝将軍の名前通り取りこぼしがほとんどなく与金星率3位、唯一の乱調なし。玉の海と同じ横綱として優勝4回というのが年2場所の時代とは言えネック。番付運というか上の覚えが悪いというか、関脇時代からほぼ2敗以内、大関時代には3場所連続優勝もしながら、なかなか昇進させてもらえず。成績だけ見ても2年前には昇進して然るべきで、そうなれば横綱としての実績もさらに高まっていたはずだ。年間最多勝は6回と事実上の王者に君臨していた。

常ノ花は年4場所ほどの時代に横綱で8回優勝。大横綱連に準ずるV率.400。大正から昭和へ、東西合併の難局に堂々君臨した。両玉に比べるとやや休場や乱調場所も多いが、それでも好成績だ。貴乃花、北の湖に次ぐ勝率8割越え。出場率.755と休場が多いのが玉に瑕。

さて、この4人。いずれも一時代を築いたというには短いが、数年間ははっきりと最強力士と認識された時期があることがポイントだ。

特に在位場所数の少ない3人は、羽黒山のように長く在位していれば他の強豪横綱に近い成績に落ち着いていたのかもしれないが、残っている成績から判断すれば大横綱に匹敵。大横綱に達していたかは微妙な感じはあるが、準大横綱というカテゴリーを設け、他の強豪横綱(通算優勝10回超クラス)より高い位置に据えたいと思う。

 

 

 

 

 

強豪と中堅

 

当初の分類では、成績と時代で分けて、以下の通り。

1 大横綱1(昭和)  双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士

2 大横綱2(平成)  貴乃花、朝青龍、白鵬

3 強豪横綱1(昭和前半) 玉錦、羽黒山、栃錦、若乃花Ⅰ

4 強豪横綱2(昭和後半〜) 玉の海、北の富士、輪島、曙、武蔵丸

 

その次に来るのは、「中堅横綱」としたい。

強さを測る上で参考になりそうなデータを並べて、改めて比較した。

まず難しいのが強豪と中堅の間。優勝10回の北の富士と、9回の日馬富士、8回の北勝海との差異である。もちろん優勝回数だけで強さは測りきれない。

この3人に、強豪横綱に入れた12回の武蔵丸、11回の曙も加えて議論してみたい。

 

在位場所数は、曙が群を抜いているが、他の4人は30場所前後。

在位中の優勝回数は、曙が8回で最多。日馬富士が最少の5回。

優勝率でいえば、武蔵丸と北の富士が.259(4場所に1回)と高く、北勝海が.207(5場所に1回)、曙と日馬富士は1割6分台(6場所に1回)と、結構差がついた。武蔵丸は休場を除くと4割越え。日馬富士は大関時代に比べて勝率は高まっているが、優勝率は下がった。

勝率でいえば、曙が.780、北勝海、武蔵丸が僅差で、2分ずつ差がついて北の富士、日馬富士。

安定感を示す12勝率は、武蔵丸、曙が4割を大きく超え、北勝海、北の富士は3場所に1回ほど。日馬富士は.226と遅れをとった。休場を除くと、武蔵丸は7割を超えてベスト10入り。日馬富士は3割下回りワースト10入りと大差がつく。

優勝・準優勝を果たした割合だと、曙、北勝海、武蔵丸が4割超で僅差。北の富士はやはり.333で、日馬富士は3割切った。

全勝優勝は、北の富士、日馬富士が3回、武蔵丸1回。横綱在位中だと、北の富士3回、日馬富士1回、他は0となる。日馬富士は、ほぼ大関時代だが32連勝も記録。安定感では劣る北の富士、日馬富士だが、瞬発的な強さは他の3横綱にないものだ。

休場の少なさを示す出場率では、日馬富士、北の富士、曙、北勝海、武蔵丸の順。壊れたりサボったりしそうなイメージとは裏腹。連続勝ち越し記録を更新したタフガイが、晩年の連続休場が響いて最も低く7割弱。

休みが少ない分、与金星数2位を記録した日馬富士、率も2割超えたが、意外と大乱調という場所は少ない。4金星を与えて休場寸前から逆転優勝したのが象徴的だ。対称的に北の富士は金星を与える率では貴乃花より上位だが、乱調場所が優勝と同じという荒れっぷり。武蔵丸、曙も金星を与える割合は良くはなかったが、めったに乱調はせず。曙は序盤の連敗も多かったが、意外と立て直しており乱調率は大横綱たちを抑えてベスト3に入った。北勝海はどちらも良くはないが、という数字。

そのほか、北の富士の年間最多勝3回、曙の3連覇が光る。一人横綱を張った功績も見逃せない。

 

実績、安定感、瞬間的な強さ、君臨した長さ、失点の少なさ、横綱として求められる要素を証明する様々なデータを総合的に比較すると、意外な個性も見えてきて面白い。単に全員をランキングするだけでなく、数人を比較するという作業に面白さを感じた。

 

とはいえ、今回の目的はカテゴライズの境界を定めること。この5人でランキングするならば、

1 曙    優勝回数では抜かれたが、武蔵丸より勝率も在位も上回り、大崩れしなかった点で非常に優秀。一時の圧倒的な印象も含め、優勝14回の輪島とも互角に渡り合える。優勝できない時期が長かったことで随分損をしている。決定力という要素も横綱の評価を決める上で非常に重要だと思い知らされる。

2 武蔵丸  12回優勝ながら、弱いデータも露呈。実質在位数、与金星率で劣利、勝率も伸び悩んで優勝4回差の北勝海より低かった。休場を除いた場合の好成績を収める割合は高いだけに、晩年の連続休場が惜しまれる。

5 日馬富士 優勝二桁に1つ届かなかっただけ、32連勝という大横綱級の実績もあって、北の富士と同ランクに入れられるのでは、というのが今回の比較のきっかけだったが、在位中の優勝率、勝率など多くの項目で一人負け。弱点を露呈し、優勝8回の北勝海より劣ることが判明。むしろ評価が後退した。全勝3回は希少だが。

3、4   北の富士、北勝海の師弟の優劣が最も悩ましい。勝率では2分余の差で北勝海に軍配、通算での勝率でも同様だ。年間最多勝は北勝海も2回記録しており、ベストの数字も1差。在位数も休場を除いてもほぼ同じ。優勝率では回数2回の分、北の富士が上回るが、準優勝も含めるとそれ以上の差で北勝海が上回り、なかなか決め手がない。最後は怪我で不成績が続いた北勝海だが、流石に北の富士の乱調ぶりには叶わず?だが、全勝3回と0回など、派手さ、存在感では師匠が圧倒的。北玉時代、一人横綱時代と注目を浴び続けた。一方の北勝海は兄弟子千代の富士の陰に良くも悪くも隠れ、一人横綱としては1勝もできなかった。あえて順位をつけるなら、やはり優勝の実績に引っ張られて北の富士かという気もしてきたが、ここでカテゴリーが分かれるのは忍びない。引退後はかたや名伯楽、こなた理事長。大横綱扱いの巧さ。データを離れても甲乙付け難い。

 

新たなカテゴライズも検討する余地が出てきた。