部屋データ<R3年>


 相撲部屋の勢力をよりシンプルにわかりやすく表にまとめました。一門ごとに各部屋のデータ表、近年の動き、閉鎖した部屋も含めた系統別の表も加えて、興亡の歴史も把握できるようにしました。

過去の一覧は以下リストから

22年版 23年版 24年版 25年版 

26年版 27年版 28年版 29年版

2018 2019 2020 2021 2022

一門リスト

一門名 主な部屋 部屋 理事 上位 年寄 看板 勢力 直近の動き
高砂

高砂,九重,

八角

5 ○1  ↑1 11 

朝山

北富

C

朝乃山大関に

高砂、東関に新師匠

出羽海

出羽,春野,

境川

13 ↓0 ↑37 

御嶽

栃心

C

徳勝龍幕尻V

二所関

常盤,佐渡,

錣山

15 1 ↑30 

貴景

髙安

C

貴景勝V2

千賀が常盤山に

伊勢濱

伊濱,宮城,

友綱

5 11

白鵬

照富

C 照富士復活V
時津風

時津,陸奥

追風

↓6 ↑2  ↑15 

鶴竜

正代

C

正代、大栄翔初V

中川閉鎖、分散移籍

 一門を跨いだ移籍、離脱の多発で、一時は崩壊が危惧されていた一門制度。しかし平成30年の貴一門の解散、次いで無所属を不可としたことにより、「平成22年貴の乱」以前の鞘に近い形で収まった。一門の名称は立浪が伊勢ヶ濱になっただけだが、所属する部屋はかなり変わった。年寄数は、旧貴一門がほぼ二所一門に再吸収されたため、若干伊勢ヶ濱が減ったくらいで概ね以前と同じような割合。理事選における力関係は大きく変わらない。

 

 部屋の統合なども落ち着いてきた。直近の変化は、中川部屋の閉鎖、2年末の千賀ノ浦部屋が常盤山部屋への看板を掛け替え。あとは、時津風の代替りくらい。

 

 令和2年は開催した5場所で全て優勝力士が異なり、幕尻Vが2人も出る波乱の年だったが、一門別でも複数回は伊勢ヶ濱のみ(白鵬、照ノ富士)。7月、直接対決で順当に大関朝乃山が幕尻照ノ富士に勝っていれば、各一門が1回ずつ制するところだったが、高砂だけ賜杯を逃す結果となった。

 優勝回数では均衡したが、2横綱3大関の顔触れを見ると、豪栄道の引退で出羽海が0に。正代が昇進した時津風が唯一複数を擁する(3年1月時点)。

 


部屋データ

出羽海一門

部屋名 師匠 創設 独立元 OB 現役   備考
出羽海 小城花 江戸期   常陸,栃木 御嶽海 S D C  
境川 両国

平15 

(中立) 豪栄,岩木 妙義,佐海 C C C 豪栄引退
春日野 栃和歌

大14

出羽海 栃錦,栃海

栃心,碧山

A C C 栃煌引退
玉ノ井 栃東Ⅱ

平2

春日野 栃東Ⅱ 東龍,東白 C C D 9月全員休場
入間川 栃司 平5 春日野 皇司,燁司    D E E  
藤島 武双山 平22 (武蔵) 出島,雅山  武将山 B D E 継承後初関取
武蔵川 武蔵丸 平25 藤島     F D E 幕下3人
二子山 雅山 平30 藤島     F D E 狼雅十両目前
山響 巖雄 平26 (北湖) 北太,北桜 (北磨) D D E  
尾上 濱ノ嶋 平18 三保関 把瑠,里山 竜虎 C D E 竜虎再十両も
木瀬 肥後海 平24 北の湖 清瀬,臥牙 志摩,徳勝 D A C 徳勝に続き活躍
式秀 北桜 平4 時津風 千昇   E E F →  勝南桜連敗続く
立浪 旭豊 大4 春日山 双葉,羽黒

明生,豊昇

A D C 豊昇,天空新入幕

 角界の保守本流と言われる出羽海一門。戦後の協会運営においても、元横綱常ノ花の出羽海から北の湖まで5人の理事長を出している中心勢力だ。長年分家独立を認めていなかったが、昭和の終わりから方針転換。例外的に分家していた春日野、三保ヶ関からも分家が相次ぎ、多くの部屋が所属している。

 戦前は幕内の片屋を独占するほどの大勢力を誇り、戦後も千代の山、佐田の山と横綱が出て、栃錦、栃ノ海らを出した春日野との両輪で角界一の大勢力を維持した。その後は大鵬や花籠勢を擁した二所一門に席巻され、三保ヶ関から出た北の湖が一時代を築いて巻き返したが、今度は九重勢、二子山勢に席巻され、一時は賜杯からも遠ざかった。平成10年代に入り、武蔵川が同時に1横綱3大関を擁し、玉ノ井、尾上、境川と新興勢力から大関が輩出する一方、出羽海部屋は100年ぶりに幕内力士、関取までも途絶えるなど伝統ある部屋は苦境を迎えた。

 平成も30年になってようやく春日野の栃ノ心が、出羽海も御嶽海が数十年ぶりの賜杯奪還。

 

 名門復活に湧いたが、令和に入り全体的には下降傾向。大関に昇進した栃ノ心は1年持たず陥落、5年大関を張った境川の豪栄道も引退。一門の大関がまたも不在になった。ライバルだった栃煌山も引退。御嶽海は関脇で2度優勝しながら万年大関候補化。

 2年は幕尻徳勝龍が木瀬部屋に初の賜杯をもたらしたが、一門に常時優勝争いに絡む力士が不在。近年一門を引っ張った春日野、境川もまだ新世代が出て来ない。飛び抜けたホープも少なく、向5年の明るい展望が開きづらい。

 最も期待できるのは、立浪部屋。2年には十両6人の優勝決定戦になり、決勝巴戦に3人が進出。優勝して再入幕の明生が怪我から復活、朝青龍の甥・豊昇龍、天空海もその後入幕し勝ち越している。戦前双葉山を擁し、最大勢力だった出羽海総出で攻略に当たった宿敵が、いま一門の一翼を担っているのは感慨深い。木瀬部屋も若手は少ないが、徳勝龍の活躍に刺激を受けて中堅以上が奮起。志摩ノ海も幕尻で優勝争いに絡み、3年1月は明瀬山が5年ぶり再入幕であわや敢闘賞。2度の大怪我で序二段から再起の宇良も十両に戻って躍動している。


二所ノ関一門

部屋名 師匠 創設 独立元 代表力士 現役   備考
二所ノ関 若島津 平26 (松根)  春山,若孜 松鳳,一山 D D D 一山本再十両
芝田山 大乃国

平11 

放駒 若乃島 (魁) E E E  
峰崎 三杉磯

昭63

放駒 荒鷲

 

E E F  
田子ノ浦 隆の鶴

平25

(鳴戸)

稀勢,若里

髙安 C D D

髙安三役復帰 

西岩 若の里 平30 田子浦     E  
片男波 玉春日 昭37 二所 玉海,玉富 玉鷲 C F D 中川から1名加入
佐渡ヶ嶽 琴ノ若 昭30 二所 琴櫻,琴光  琴勝,琴恵 A B C 元大関琴奨引退
尾車 琴風 昭62 佐渡 豪風,嘉風 矢後,(友風) D C D

友風長期離脱

鳴戸 琴欧洲 平29 佐渡     E ↑  同部屋巴戦
大嶽 大竜 平16 (大鵬) 露鵬,大砂 王鵬 D E E 大鵬3世新十両
阿武松 大道 平6 大鵬 若荒,片山 阿咲 D 阿武咲復調
高田川 安芸島 昭49 高砂 剣晃,前臻  輝,竜電 D C C  
常盤山 隆三杉 令2 (千賀)   貴景,隆勝 C D B ↑  景勝V2千賀から改称
錣山 寺尾 平15 井筒 豊真,青狼 (阿炎,王輝) D C E

阿炎謹慎,王輝転落
湊富士 昭57  時津風 湊富,仲国 逸城 D D 逸幕内復帰

 長年に渡り、出羽海に次ぐNO.2勢力を長年誇る一門。二子山理事長の時代を除いて万年最大野党の印象があるが、戦後の土俵の上では出羽一門を凌ぐ実績を残している。横綱玉錦が二枚鑑札で引っ張った二所ノ関は、玉ノ海が繋いだ後、大関佐賀の花が大鵬を擁して台頭。出羽海とは対照的に分家奨励の方針で、花籠から若乃花、輪島、片男波から玉の海、佐渡ヶ嶽から琴櫻と横綱が出て、一門として繁栄。花籠から独立した二子山からも続々と横綱・大関が育ち、平成に至るまで一定周期で土俵の中心を占めている。

 平成22年に貴乃花一派が離脱、本家・二所ノ関部屋の閉鎖など分裂危機もあったが、伝統の連合稽古など緩やかながら求心力を保っており、元若嶋津の松ケ根が名跡変更して二所ノ関部屋の看板が復活。30年には解散した旧貴乃花一門の殆どを受け入れ。その間に高田川の加入、鳴門、西岩の独立もあって、擁する部屋数では最多を誇る。

 貴乃花らが引退して二子山時代が終わった平成10年代後半以降、佐渡ヶ嶽から3大関が出た以外はやや下火だったが、29年に田子ノ浦部屋から横綱、大関が誕生した。さらに貴乃花部屋閉鎖で移籍したばかりの貴景勝が初優勝、大関へと駆け上がって横綱を期待されている。

 

 貴景勝が大関を務め、2年11月に2度目の優勝。綱取りは失敗。髙安が大関陥落後の不調から立ち直って三役で奮戦。その他阿武咲が時折目立った活躍をするが、三役常連だった逸ノ城が怪我で、阿炎が謹慎で幕内を明け渡すなど脇を固める陣容がやや貧弱。優勝経験のある玉鷲、松鳳山ら長く活躍した力士も30代後半で、地力のある高田川勢、新鋭擁する佐渡ヶ嶽勢など活躍が待たれる。


伊勢ヶ濱一門

部屋名 師匠 創設 独立元 代表力士 現役   備考
伊勢ヶ濱 旭富士 平19 (安治川)  日馬富 照富,宝富 B A C 照富復活V
宮城野 竹葉山

昭35 

(吉葉山) 明武,陸嵐 白鵬,炎鵬 B C B 1月全休
友綱 旭天鵬

昭36

(高島) 魁皇,魁輝

魁聖,旭星

C

C

D 1月全休
浅香山 魁皇

平26

友綱   (魁勝) F E E ↑   
朝日山 琴錦 平30 尾車     F E E  

 緑嶌が春日山部屋から独立して、双葉山、羽黒山らを擁して戦前戦後を席巻した立浪部屋を中心とする一門。そして横綱照國らが活躍した伊勢ヶ濱の一門。さらに大正期の強豪横綱太刀山が出た友綱部屋や、吉葉山などを擁した高島部屋の流れを組む部屋、大阪相撲の古豪・朝日山などが寄り合い、昭和中期から「立浪・伊勢ヶ濱連合」として定着していた。ルーツがバラバラで最も関係性の複雑な一門。緩やかに繋がっていたが、近年足並みが揃わず混乱が目立った。

 平成18年に伊勢ヶ濱が閉鎖(19年に名跡変更で部屋名は復活)、さらに24年には盟主・立浪が他一門に流れてしまい、両軸が消滅。それに伴って「立浪一門」、「春日山・伊勢ヶ濱連合」、さらに「伊勢ヶ濱一門」と一門名の改称を繰り返した。部屋の閉鎖や流出で現在は5部屋、年寄9名の勢力に縮小した。

 伝統ある立浪(現・出羽一門)や旧・伊勢ヶ濱、旧・朝日山の系統の部屋は一門から消滅し、友綱・高島の系統が主流。現朝日山は、以前とは全くの別系統で、新たに他の一門で興った部屋が移籍加入したものである。

 平成に入り、上位陣は初期の旭富士、中期の魁皇と一人ずつしか擁せなかったが、後期は勢力の縮小ぶりとは裏腹に、土俵上では宮城野の白鵬、伊勢ヶ濱の日馬富士で賜杯を独占した。

 

 令和2年は白鵬が休場続きで優勝1回止まりだったが、7月に史上初めて序二段から幕内復帰した照ノ富士がいきなり優勝。一門別では唯一複数優勝した。照ノ富士は11月も決定戦へ進み、大関復帰へまっしぐら。朝乃山を足取りの奇襲で破って復活優勝をアシストした照強も存在感を発揮。3年1月は翠富士が新入幕で肩透かしで一世を風靡して技能賞。ベテラン宝富士も復調して上位で存在感を取り戻し、安美錦が去って寂しくなっていた伊勢ヶ濱部屋が元気を取り戻している。

 宮城野は炎鵬、石浦が十両転落したが、久々の2m力士・北青鵬が序ノ口から無敗のまま幕下15枚目に。史上最速の新十両も期待されたが、1月は白鵬がコロナ感染のため、宮城野、友綱は全力士全休となり、貴重な1場所をロスした。

 高齢化が気になる友綱、新興の浅香山、朝日山もそろそろ結果を出したいところ。

高砂一門

部屋名 師匠 創設 独立元 代表力士 現役   備考
高砂

朝赤龍

明初   朝潮,朝青 朝山,朝玉 A C C

朝乃山大関に

東関 高見盛

昭61 

高砂 曙,潮丸 (華王錦) C E E 2月から継承
錦戸 水戸泉

平14

高砂  

水龍

E F D  
九重 千大海

昭42

出羽海 北富,千富 千龍,千丸 S B C 1月は全員休場
八角 北勝海 平5 九重 北力,海鵬 隠岐,北富 C B C  

 明治期に権力を独占した高砂の直系を中心とした一門。若松、振分、大山、中村など度々分家独立はあるが、どれも大勢力にはならずに興亡を繰り返し、本家筋が柱となっている。

 昭和42年、独立時に出羽一門を破門された九重を受け入れ、以後2系統で成り立っている。高砂系は横綱、大関となった歴代朝潮太郎を中心に、男女ノ川、前田山、東富士、ハワイ勢にモンゴル出身朝青龍など超個性派を生み続けた。九重部屋は千代の富士ら3横綱1大関を生んだ。

 土俵上での存在感、優勝回数では、大所帯の出羽や二所を上回る時代が長かった一方で、分家筋の活躍が乏しいこともあって年寄の層は薄く、少数派のまま。北の富士、千代の富士ですら理事からも漏れることがあったが、平成28年には九重から分家した八角が、一門初の理事長となった。

 横綱朝青龍、大関千代大海が引退した平成22年以降は横綱大関、優勝力士が途絶えた。29年には高砂部屋に138年続いた関取が不在となったが、1場所で朝乃山が十両昇進し、さらに令和最初の優勝者、そして大関へ。九重も次々関取を生み、常に大所帯の八角も関取が絶えない。

 

 高砂部屋の朝乃山は平幕優勝から勢いに乗って、2年7月大関昇進。師匠の元大関朝潮が停年を迎え代替わり、大方の予想は大学の後輩・元朝乃若だったが、まだ30代のモンゴル出身・朝赤龍が継承することになった。

 師匠が理事長に再選した八角部屋も、北勝富士、隠岐の海が三役、前頭上位で奮闘している。元高校横綱の北の若も十両目前まで出世してきた。

 九重部屋は千代の国が2度目の幕下陥落からも立ち直って十両優勝、さらに敢闘賞。停滞する中堅力士達に刺激を与えたが、3年初場所は師匠はじめ多くの力士がコロナ感染して全員休場。

 錦戸はそろそろ幕内力士を期待したいが、水戸龍の伸び悩みが誤算。師匠急逝後八角への一時預りを経て、元高見盛が継承した東関は、年を越してもHPも更新できていないドタバタぶりが窺えるものの、2人が幕下昇進。ただ、継承は暫定措置で3月場所後にも閉鎖という話もある。

 一門別では令和2年に唯一優勝がない。朝乃山頼みと言わせないよう、盛り上げていきたい。

時津風一門

部屋名 師匠 創設 独立元 代表力士 現役   備考
時津風 土佐豊 昭20 (双葉山) 鏡里,豊山 正代,豊山 A C C 正代大関に
荒汐 蒼国来

平14 

時津風   若隆,若元 E D C 隆景躍進 
伊勢ノ海 北勝鬨

昭24

錦島 柏戸,藤川

勢,錦木

B D C

両関取陥落

鏡山 多賀竜

昭44

伊勢海 蔵王,起利 (鏡桜) D F E 竜聖幕下上位
陸奥 霧島 昭49 (井筒) 白馬,敷島

鶴竜,霧馬

D C B  
追手風 大翔山 平10 友綱 追海,黒海 遠藤,大栄 D B B 大栄翔V

 角聖双葉山が、粂川から部屋ごと譲り受け、立浪部屋から現役のまま独立した双葉山道場が起源。引退後は時津風部屋となり、巡業を共にした伊勢ノ海や井筒などの伝統ある部屋が合流し、独立元の立浪とは別の一門を形成した。双葉山の率いた時代には屈指の大部屋で、粂川から加入した横綱鏡里、大関大内山、大学相撲出身者の草分けである大関豊山と強豪も出た。伊勢ノ海の柏戸が長年綱を張るなど層が厚かったが、昭和40年代、師匠の代替りの際に分裂が相次いで所帯が小ぶりになり、横綱大関や賜杯から遠ざかった。

 昭和50年代は最後の最後に多賀竜が平幕優勝で何とか一矢。平成に入って井筒が隆盛、霧島が大関となり優勝も飾ったが、その後はまた長い空白が訪れた。

 平成20年代終盤、追手風一派が合流したが、錣山、湊が離脱し現在は6部屋。

 横綱鶴竜を擁すが、大関は平成初期の霧島以来、横綱となると柏戸以来半世紀ぶりの誕生だった。決して大所帯ではなく、他の一門に比べて歴代大関以上の力士も少なく、派手さはないが、比較的安定した体制を維持している。

 

 時津風の正代が覚醒し、2年秋場所を制して大関昇進。優勝は北葉山以来、大関昇進は豊山以来と、いずれも57年ぶりの名門復活劇だった。追手風部屋では大栄翔が新関脇、3年1月は平幕優勝を果たし、部屋に初めての賜杯を呼び込んだ。鶴竜の移籍加入で横綱と同部屋になった陸奥の霧馬山は新入幕で敢闘賞、上位へ進出。停年による代替りで、蒼国来が継承者となった荒汐部屋からは、若隆景が上位へ進出した。

 土俵上では明るい話題が多いが、指導者の不祥事が足を引っ張った。中川部屋が、師匠の弟子へのパワハラ認定を受けて閉鎖。師匠は時津風部屋付、弟子は6部屋に散り散りに移籍する珍しいケースとなった。移籍先には以前に所属していた伊勢ヶ濱一門や、二所一門の片男波部屋も含まれていた。

 さらにコロナ禍での外出自粛に繰り返し違反した時津風に退職勧告処分が下った。時津風は創設以来2代にわたり理事長に就任してその名跡を高めたが、先代も平成19年の弟子暴行死事件で逮捕、解雇されて泥を塗ったばかり。当代も野球賭博関与と先般の外出で2度も降格処分を受けていた。双葉山が襲名する際、以前はあまり評判の良くない人物だったため、諫める声もあったそうだが⋯。