優勝争いの展開

1.定義と場所数

 全場所レビューでは、独自の分析として「優勝争いの展開」の分類を行った。

 ここでは、平成全場所の展開別に傾向を見ていく。

 まずは、10の類型の定義を明らかにしつつ、どれだけの場所数を占めたのかを振り返る。

  定義
大独走 後続に大差をつけ、13日目に決着等 7 4 9
独走 主な好敵手に2差以上つけ、楽日待たず決着 22 12 3
抜け出し 数名並走の団子状態からひとり飛び出す 12 7 6
突き放し 追いすがる相手を直接対決で退ける 19 10 4
逃げ切り 早々にトップに立ち、リードを守り切る 32 18 2
追い込み 終始追いかける展開から最終盤に浮上 7 4 9
一騎打ち 2者に絞られデッドヒート、直接対決で決着 40 22 1
競り勝ち 一進一退の展開の末に僅差で上回る 16 9 5
三つ巴 最終盤まで3者で争った末に決着 12 7 6
混戦 4名以上が終盤まで争った末の決着 11 6 8
大混戦 大人数が終盤まで争った末の決着 3 2 10

 独自に定義した優勝争いの展開の類型は、上記の表の通り。分析にあたって10種に整理した。上に行くほど圧倒的な優勝、下に行くほど接戦、混戦。

 表の中ほどにある「抜け出し」〜「三つ巴」は、競った人数だったり、先行か逆転かなど、切り口が交錯しているため、必ずしも並びの順に接戦というわけではないが、一応の傾向で並べた。切り口を一つにした方がシンプルではあるが、面白さ重視であえてゴチャついた分類をあえて残した。

 場所数では、「一騎打ち」が最多。2人の決定戦や相星決戦になったから一騎打ちというものではなく、「優勝争いがほぼ2者に絞られた上で終盤戦の直接対決で決着」という条件を設けたが、だいたいが上位同士なので終盤戦の直接対決の成立は意外と難しくなかった。一番早い直接対決は13日目で、6年7月、14年7月、28年5月。完全に2者のデットヒートとなったが、明暗を分けた直接対決が中盤戦だったために「逃げ切り」となったのは16年1月くらいである。ちなみに、直接対決のないはずの同部屋力士が決定戦で対戦して「一騎打ち」が成立したのが元年7月(千代の富士ー北勝海)、7年11月(若乃花ー貴乃花)と2度あった。

 「逃げ切り」がこれに続く。千秋楽までに得たリードを守る展開。追走する相手を終盤の直接対決で引き離した場合は「突き放し」、楽日を待たずに決定して大差もついた場合は「独走」「大独走」。それ以外の先行した展開だけを対象にしたが、意外と多かった。横綱が事実上独走していながら、僅差の平幕力士がいても対戦させないことも多く、「独走」というのほどは差がつかずに「逃げ切り」となったパターンも多々あった。

   その「独走」「突き放し」が3、4位で続く。やはり先行する展開が大多数だ。「突き放し」は、終盤に1、2差でつけている相手の挑戦を返り討ちにしたケースで、「逃げ切り」が直接対決で迫られたり、優勝後に敗れて結果僅差となったパターンも含まれているのに比べて、強い勝ち方と言える。

 5位以下は10%未満のレアな展開。

 「競り勝ち」は、2人以上が最後まで僅差で争うパターン。直接対決で決着せず、追いつ追われつの展開など、他の類型に当てはまらない競った展開が含まれている。逃げる展開、追う展開、絡む人数なども様々。

 6位タイは、「三つ巴」。これは文字通り最終盤まで3人が優勝を争ったパターン。高いレベルでの直接対決が最大3番あり、展開も多彩なので面白い。ただ、そのまま巴戦とはなかなかならない。同じく6位の「抜け出し」は、首位グループが団子状態だったのが、途中から文字通り一人抜け出した展開。最後は独走気味に千秋楽前に決まっても、独走というには周りも健闘したケース。

 1場所差で8位は「混戦」。最後は2人の相星決戦となったりしても、13,14日目あたりまで4人以上が可能性を残す激しい争いであれば、混戦としている。

 9位タイの「追い込み」は、追いかける展開が続いたが最後に差し切ったパターン。最も凄い追い上げは、29年秋の日馬富士。中盤終わって4敗。3差をつけられていながら諦めず、楽日決戦で連勝して史上最大の逆転劇を演じた。もっとあるかと思ったが、13日目に優勝を決めるような「大独走」とタイという少なさだった。追う展開で優勝するのは至難の業のようだ。

 「大混戦」は、4人以上の決定戦と、平幕決定戦となった3場所のみ。「混戦」自体が少ないので、そこに分類してもよかったくらいのレアケースだが、指標として残しておいた。

2.年代別の増減

(1)展開の年代分布

  1-5 6-10 11-15 16-20 21-25 26-31 合計
大独走 1 0 1 2 3 0 7
独走 4 4 2 3 5 4 22
抜け出し 1 2 0 3 3 3 12
突き放し 2 3 4 6 3 1 19
逃げ切り 7 5 5 4 3 8 32
追い込み 0 1 0 3 0 3 7
一騎打ち 8 6 6 7 8 5 40
競り勝ち 1 3 6 1 1 4 16
三つ巴 4 2 3 1 0 2 12
混戦 2 2 3 0 2 2 11
大混戦 0 2 0 0 1 0 3

 5年毎に分析すると、全体で最多の「一騎打ち」の展開が最も均等に割れていて、各年代で1位となっているが、最後の5年余だけは「逃げ切り」に譲った。

 混戦・大混戦は、16〜20年で0。前後半では9対5。

三つ巴は1〜5年で最多4、21〜25年は0。前後半では9対3の大差。

    競り勝ちは、11〜15年が6と特出。

 独走・大独走は、11〜15年が最小の3、21〜25が最多の8(この期間では一騎打ちと同数で1位)。前後半では12対17。

    抜け出しも11〜15が最小の0で、前後半は3対9と大差。     

    逃げ切りは前半の方が多く、10対6。11〜15年が最多で6回あった。

 逃げ切りは、多少最後に差が縮まることが多く、上位陣の力がやや弱まった11〜15年と26〜30年に多い。

    追い込みは、前半15年で1場所のみ。後半は6場所あった。

   抜け出しも、前半15年で3場所が、後半9場所と増加した。

 まとめると、前期の方が接戦の展開が多く、後期は大差の展開が多い。どうも優勝争いが盛り上がらない場所が多くなったという印象は、気のせいではなかった。

やはり全盛期の朝青龍や白鵬という取りこぼしの少ない横綱がそのまま走ってしまう展開が増えたからか。他の分析結果からも同様の結果が見て取れる。

 

 

(2)年代ごとの傾向

年代 多い 少ない
1〜5 一騎打ち、独走、三つ巴 大混戦、追い込み
6〜10 一騎打ち、独走 大独走
11〜15

一騎打ち、逃げ切り、

競り勝ち

大混戦、抜け出し、

追い込み

16〜20 一騎打ち、突き放し 混戦、大混戦
21〜25 一騎打ち、独走 追い込み、三つ巴
26〜31

一騎打ち、独走、

逃げ切り、競り勝ち

大独走、大混戦

 年代ごと見ると、どの年代でもほぼ一騎打ちが最多。

 これに独走が続くことが多く、16〜20年でも独走と大独走の合計は第3位。ただ、11〜15年は3場所に留まった。

 1〜5年、11〜15年、26〜31年では、三つ巴、競り勝ちといった縺れる展開も上位にランクインした。

 各年代で少数なのは、やはり大混戦、大独走、追い込み。成立する確率はかなり低い。

 バラエティに富むのが6〜10年。26〜31年も多様だったが、両極の大独走と大混戦だけはなかった。

(3)展開別三傑

一騎打ち

①白鵬10 ②朝青龍5 ③貴乃花4

逃げ切り

①白鵬8 ②朝青龍、貴乃花4

独走

①白鵬7 ②貴乃花4 ③朝青龍3

突き放し

①朝青龍6 ②白鵬4 ③武蔵丸2

競り勝ち

①貴乃花、武蔵丸3 ③曙2

抜け出し

①白鵬3 ②朝青龍2 ③多数1

三つ巴

①北勝海3 ②魁皇2 ③多数1

混戦

①曙、白鵬2 ③多数1

大独走

①白鵬4 ②朝青龍2 ③千代の富士1

追い込み

①白鵬、日馬富士2 ③3名 1

大混戦

①貴乃花、武蔵丸、旭天鵬1

 優勝回数上位の横綱が各展開の上位を占めるのは当然だが、ばらつきはある。

 「突き放し」では朝青龍が白鵬を上回った。独走の多かった印象の朝青龍だが、意外と終盤まで1〜2差で、最後に直接対決で差を広げる展開が多かった。

 「競り勝ち」は、貴、武蔵、曙が上位を占めた。やはり接戦の多い時代だった。

 「三つ巴」では、平成の優勝5回の北勝海が3回も該当しトップ、同5回の大関魁皇もランクインと、特殊な状況を得意とする力士が。

 「追い込み」1位タイの日馬富士は、それ以外の展開を含めても終盤までリードを許しながら逆転した優勝が半数近くと、脚色が表れた。