相撲部屋興亡史


 名門あり、新興勢力あり、関係性の複雑な相撲部屋の成り立ちを表形式でまとめた。大変革期だった平成20年代には、従来なら大事件だった一門を跨ぐ動きが活発化したので、変遷だけを1ページにまとめることにした。

 

 黄色は一門内に現存する部屋、

 *は閉鎖または名跡変更で現存しない部屋、

 *は現在一門外の部屋

平成期の一門別の優勝回数の遷移を振り返る。そういう視点での争いは誰も意識していないはずだが、意外にダイナミックなデッドヒートが繰り広げられていて面白い。


出羽海一門

第一段階 独立不許の時代

  独立部屋 開祖 時期 備考
出羽海 春日野 栃木山 大14 多大な功績を評価し分家
三保関* 増位山 昭25 預かりから再興。平25閉鎖、春日野へ

九重*

千代の山 昭42 独立時に破門、高砂一門へ
武蔵川* 三重ノ海 昭56 独立不許の方針を転換

 明治の常陸山以来の角界の最大勢力・出羽海部屋は、かつては中央集権型。大功労者の横綱栃木山が独立した春日野、元大阪相撲の部屋で混乱期の一時預りから再興した三保ヶ関の例はあったが、それ以外は本家からの分家独立は認めない方針で、大所帯を保っていた。元横綱も例外ではなく、後継問題の縺れから千代の山が独立を申し出た際には、内弟子の移籍は認めつつ破門とされた。しかし時代は流れ、昭和末期には横綱三重ノ海の武蔵川が平和的に分家を認められた。

第2段階〜 平成の独立ラッシュ

系統

独立部屋 開祖 時期 備考
出羽海 中立→境川 両国 平10 中立として独立後、平15名跡変更
>武隈 豪栄道 令4 境川から独立
田子ノ浦* 久島海 平11 平24閉鎖、弟子は出羽と春日野へ
春日野   玉ノ井 栃東Ⅰ 平2  
入間川→ 栃司 平5 令5垣添(旧武蔵川)が継承時改称
千賀ノ浦** 舛田山 平16 平28後継者所属の貴一門へ のち常盤山に
三保関* 北の湖→山響 北の湖 昭60 平27一代年寄死去で継承時改称
木瀬 肥後ノ海 平15 平22〜24は北の湖部屋預かり
尾上 濱ノ嶋 平18  

武蔵川*

→藤島 武双山 平24 武蔵川を継承
>武蔵川 武蔵丸 平25 藤島から独立し、再興 
>二子山 雅山 平30

藤島から独立

<移籍>

式秀 大潮 平26

北桜(北湖)が継承時に時津風一門から

 平成に入り、新興の武蔵川部屋は1横綱3大関を同時に擁した。伝統の三家からの独立が相次ぎ、玉ノ井、尾上、境川からも大関が誕生。方針転換により活性化に成功したが、本家筋の苦戦が顕著になり、長らく優勝も大関もご無沙汰に。三保ヶ関は分家が相次ぐも本家を継ぐ者がなく、閉鎖してしまった。

 現在は、出羽海系、春日野系、旧三保ヶ関系、旧武蔵川系と比較的シンプルに分けられるが、時津風一門だった式秀を北の湖部屋出身の北桜が継承して一門加入。春日野系統の入間川を武蔵川部屋出身の垣添が継承。三保ヶ関の閉鎖時は力士は春日野部屋に移籍するなど、系統ごとのまとまりは形骸化してきている。

二所ノ関一門

第1段階 拡大路線で名門誕生

  独立部屋 開祖 時期 備考
 二所関* 芝田山→花籠* 大ノ海 昭27 昭28名跡変更。新師匠廃業で放駒へ合流
佐渡嶽 琴錦 昭30  
片男波 玉乃海 昭37  
大鵬→大嶽 大鵬 昭47 平14一代年寄から継承時改称、離脱のち復帰
押尾川* 大麒麟 昭50 継承問題の末独立。閉鎖時尾車へ合流

 二枚鑑札で率いた横綱玉錦を祖とする二所ノ関一門は、独立を奨励したことで宿命のライバル出羽一門とは対照的だった。戦後早い段階で独立した花籠、佐渡ヶ嶽、片男波が横綱を出し、本家も大鵬を擁して一時代を築く。だが、それぞれ独立時には移籍を巡るトラブルがあり、さらに本家の継承時にも「押尾川の乱」で大騒動になった。結果的に二所も押尾川もその代で看板を下ろすことになった。花籠からはさらに分家が広がったが、その他はあまり拡大には活発ではない。

第2段階〜 両国と阿佐ヶ谷(花籠一門)

阿佐ヶ谷系 独立部屋 開祖 時期 備考
花籠*

二子山→貴花**

若乃花Ⅰ 昭37

平5継承時藤島と合併、平16継承時改称、

平30閉鎖時千賀ノ浦へ合流

放駒* 魁傑 昭30 本家花籠を吸収、閉鎖時芝田山へ合流 
峰崎* 三杉磯 昭63 放駒から独立、閉鎖時芝田山へ合流
芝田山 大乃国 平10 放駒から独立、のちこれを吸収

>二子山*

藤島* 貴ノ花  昭56 二子山継承し、合流
間垣** 若乃花Ⅱ 昭58 平22一門離脱、平25閉鎖、伊勢ヶ濱へ

鳴戸→田子浦

隆の里 平元 平25名跡変更

西岩

若の里 平30 田子ノ浦から独立

>荒磯→二所関

稀勢里 令3

令3名跡変更。尾車閉鎖時一部が合流

松ヶ根→二所関→放駒

若嶋津 平2

平27名跡変更して二所ノ関部屋再興、

令3名跡交換せず継承し、二所は返上

荒磯* 二子岳 平4 閉鎖時、花籠へ合流
新・花籠* 太寿山 平5 花籠株を取得し独立。閉鎖時峰崎へ合流

 花籠部屋をルーツとする一派は、さらに分家して飛躍。東京西部に位置し、一時は阿佐ヶ谷勢とも花籠一門とも呼ばれて二所から半独立した勢力を形成した。本家からは若乃花、さらに輪島と人気横綱が続き、横綱若乃花が分家した二子山からは2横綱2大関が育つ。彼らもそれぞれ独立し、平成に入ると二子山を継承する藤島部屋の若貴らがフィーバーを巻き起こした。放駒、鳴戸のち田子ノ浦からも横綱が出たが、時代と共に部屋は分散して、かつての結びつきはない。

 本家筋の花籠は継承した輪島の廃業により放駒に吸収、二子山は弟の藤島の継承後に貴乃花が一代年寄として継承したことで看板からは消えた。

 大本の二所ノ関も後継不在で一旦途絶え、二子山から独立した元若嶋津の松ケ根が名跡を取得して二所ノ関部屋が復活したが、停年時には部屋を継承した放駒ではなく、元稀勢の里の荒磯と交換。一門の看板たる「二所ノ関」は再興するものではなく、リーダー格が引き継ぐ象徴的なものとして扱われている。

両国系分家 独立部屋 開祖 時期 備考
大鵬

大嶽

貴闘力 平15 部屋継承時、一代年寄の大鵬から変更 貴一門のち復帰

阿武松

益荒雄 平6 押尾川から移籍後に独立 貴一門のち復帰
佐渡ヶ嶽 鳴戸

琴欧州

平29  
尾車*

琴風

昭61

令4閉鎖、弟子は押尾川と二所(令)に移籍
押尾川 豪風 令4 尾車閉鎖と同時に一部力士と独立
>朝日山* 琴錦 平30 佐渡から尾車移籍後独立、直後伊濱一門へ

 花籠系の阿佐ヶ谷勢に対して、本家やそれ以外の分家は両国系と呼ばれたが、現在は各地に分散。中心勢力は数多くの関取を出してきた佐渡ヶ嶽。大鵬から分かれた阿武松は、押尾川の弟子だが独立を巡って師匠と折り合わず、大鵬部屋に預かられてから独立した形だ。その恩からか、貴乃花独立の際には行動を共にしている。

移籍加入組(平成後期)

移籍組 独立部屋 開祖 時期 備考
(高砂)

高田川

前の山 昭49 平10破門、無所属を経て平24合流
(春日野→貴花)

千賀ノ浦

常盤山

舛田山 平16 継承時に貴一門、のち合流し令2改称

(井筒)

錣山 寺尾 平15 時津一門から離脱、無所属を経て平30合流
(時津風) 豊山Ⅱ 昭57 時津一門から離脱、無所属を経て平30合流

 他の一門の名門部屋から興った部屋が訳あって加入。高田川は高砂を破門になって長く唯一の無所属となっていたが、貴乃花部屋から破門同然で移籍した元安芸乃島が継承すると、貴乃花一派の離脱後に自身の古巣である二所一門へ加入した。元舛田山が春日野から独立した千賀ノ浦部屋は関取も出していたが、貴乃花部屋付きの元隆三杉が継承して、新師匠の所属する貴一門へ移籍。その後貴一門解体時に復帰組とともに二所へ加入。井筒の実弟だった錣山と湊は揃って時津風一門を離脱し、無所属として貴乃花一門と協力関係を築こうという矢先、貴一門が解体。特に縁はないが、やはり二所一門に加入した。

高砂一門

  独立部屋 開祖 時期 備考
高砂 若枩→西岩→若松* 射水川 昭4 平14師匠が高砂襲名し合併
大山* 高登 昭15 昭61閉鎖時高砂へ合流 
振分* 朝潮 昭37 昭39閉鎖時高砂へ合流、のち継承
高田川* 前の山 昭49 平10破門、無所属へ(のち二所一門)
東関* 高見山 昭61 令3閉鎖、八角へ合流
中村* 富士櫻 昭61 平24閉鎖時東関へ合流
錦戸 水戸泉 平14  
九重 井筒* 北富士 昭49 独立後、昭和52九重を襲名し合併
八角 北勝海 平5  

 出羽一門以上に本家中心。分家があまり育たず、一代限りで閉鎖することが多くて孫部屋もない。非常にシンプルな系図となる。昭和期には若松、大山といった分家も個性派を出していたが、平成前半までに本家へ吸収された。大関朝潮が若松を継承して朝青龍や近大勢を率いて活躍していただけに、高砂と統合しなければ、違う歴史が生まれていたかもしれない。しかし、統合しなければ本家が健在だったか、他の一門の古豪を見ていると危うかったかもしれない。

 出羽海からの独立時に一門から破門された九重に助け舟を出したのも高砂で、以来もう一本の柱として一門を支えている。九重が急逝すると独立していた北の富士の井筒が合併し継承、千代の富士も一代年寄を辞退して継承、そして千代大海へと本家は盤石に引き継がれたが、こちらも八角以外は分家が出ていない。

伊勢ヶ濱一門

  独立部屋 開祖 時期 備考
立浪  立浪* 緑嶌   平24貴乃花Gへ、のち出羽一門へ
時津風* 双葉山 昭20 双葉山道場として一門形成
春日山* 名寄岩 昭30 平2閉鎖時安治川へ
追手風* 清水川 昭13 昭40閉鎖時立浪へ
大島* 旭国 昭55 平24閉鎖時友綱へ
武隈* 黒姫山 平11 平16消滅(所属力士なし)
旧伊勢ヶ濱

熊ヶ谷*

荒玉 明治 昭32閉鎖時荒磯に合流

伊濱→荒磯→伊濱*

清瀬川 昭4

熊ヶ谷から独立、のち吸収

継承時改称も再改称、平18閉鎖時桐山へ

木瀬* 桂川 昭31 平12閉鎖時桐山へ
桐山* 黒瀬川 平5 大鳴戸を引き継ぐ 朝日山へ合流
高島・友綱  

高島(大)→友綱

大島

八甲山 大12

昭26安治川と合併、昭36名跡変更

令4名跡変更

>浅香山 魁皇 平26 友綱から独立
玉垣→安治川* 巴潟 昭16 昭17名跡変更、昭26高島継承し合併
熊ヶ谷→高島(昭)* 三根山 昭35 高島から独立後改称、昭57閉鎖し熊谷へ
吉葉山→宮城野 吉葉山 昭33 高島から道場として独立、昭35襲名
熊ヶ谷* 芳野嶺 昭39 昭57高島が合流 平8閉鎖し立浪へ
安治川→新・伊勢濱 陸奥嵐 昭54

宮城野→友綱移籍後独立、

当代が平19名跡変更、一門総帥に

春日山* 春日富 平9 安治川から再興独立、平28追手風預り
高島(平)* 高望山 平5 熊ヶ谷から独立再興、平23閉鎖
追手風* 大翔山 平10 立浪→友綱移籍後に再興 平28時津一門へ
朝日山  朝日山* 岩ケ松 明29 平23桐山が合流 平27閉鎖時伊勢濱へ 
>大鳴戸** 高鐵山 昭50 先代が独立後再合流、再興も平5閉鎖
<移籍> 新・朝日山 琴錦 平28

二所の尾車から独立後、

先代所属一門へ移籍加入

 戦後、立浪一門と伊勢ヶ濱一門、朝日山部屋など協力関係にあった勢力が連合していた。立浪・伊勢ヶ濱連合として定着していたが、伊勢ヶ濱の閉鎖、立浪の離脱などで名称も二転三転、最終的には「伊勢ヶ濱一門」として落ち着いたが、その間に閉鎖や離脱の動きが多発して勢力は縮小した。

 立浪系列の部屋は既に一門になく、一門を興した時津風、貴一門を経て出羽一門に入った本家だけが残存する。

 旧・伊勢ヶ濱流れを組む部屋もすべて閉鎖され、朝日山の系統も途絶えたが、名跡を取得して部屋を興した元琴錦が二所一門から移籍してきて復活した。継承時の約束でもあったのだろうか、その割には再興であるという名目は表れてこない。

 現在中心となっているのは、高島→友綱部屋から分かれた部屋。

 大島部屋(立浪から独立)出身の旭富士は、安治川部屋の後継となりのち名跡変更で伊勢ヶ濱を復活させた。横綱、大関も育ち、かつての名門を再び表舞台に引き上げ、一門の名称にも復活した。

 大正期からの高島部屋を引き継ぐ友綱部屋は、昭和後半には弟子数名まで落ち込んだが、先代が大関魁皇を育て上げ復活。大島部屋も吸収して安定勢力となった。令和になって継承した当代が、古巣の名跡に変更して大島部屋が復活。最古参の友綱の名がなくなったのは惜しい。

 高島部屋所属だった吉葉山道場を祖とする宮城野部屋も、地味な歴史を歩んできたが、横綱白鵬が誕生して激変。今や一門最古参の歴史と実績を誇る名門となった。その白鵬が継承し、有望株を続々手中に。

 その他、高島、安治川、春日山、熊ヶ谷部屋が同じ名称で何度か興亡を繰り返している。

時津風一門

  独立部屋 開祖 時期 備考
時津風

 

双葉山→時津風

双葉山 昭16

粂川を引継ぎ、道場として独立後襲名

昭和39錦島を吸収

立田川*

鏡里 昭46 時津継承後に分家 平12閉鎖時陸奥へ
湊* 豊山Ⅱ 昭57 →平29無所属のち二所一門
式秀* 大潮 平4 →平25継承時に出羽一門へ
荒汐 大豊 平15  
井筒 君ヶ濱→井筒* 鶴ヶ嶺 昭47 独立後、改称して再興 令元閉鎖時陸奥へ

>錣山*

寺尾 平15

井筒から独立 平29無所属のち二所一門

井筒→陸奥* 星甲 昭22

昭19双葉山道場預りのち、再独立

昭49改称  立田川、井筒を吸収

令6閉鎖時音羽山などに移籍

音羽山 鶴竜 令5

陸奥から独立 直後に閉鎖の陸奥から合流

伊勢ノ海 伊勢ノ海 柏戸

昭24

江戸期から断続的に続く
>鏡山* 柏戸 昭44 横綱柏戸が興す。令3閉鎖時伊海へ

<移籍>

追手風

追手風 大翔山 平28 伊勢ヶ濱一門から加入 
>中川* 旭里 平29 追手風預の旧春日山勢と独立 令2閉鎖時四散

 立浪から独立した双葉山のち時津風と、これに呼応した井筒、伊勢ノ海、錦島らが一門を形勢。そこから分家などで一時は多くの部屋を擁したが、閉鎖、移籍もあって現在は5部屋に収束。

 井筒は、先代の鶴ヶ嶺から星甲への継承時に、元関脇鶴ヶ嶺が君ヶ濱として独立。その後陸奥に改称したため空き名跡となり、元横綱北の富士が取得して井筒部屋を興し一旦高砂一門に流れた。ところが間もなく九重を継承したため、その機に君ヶ濱が取得して、念願の井筒継承を果たす。その後息子の元関脇逆鉾に引き継がれ、兄弟子の元大関霧島が陸奥を継承していたが、逆鉾の急逝で井筒は閉鎖し、陸奥部屋に合流。どちらが本家か分からない二つの流れが再び一つになったが、これも一時的な措置で、元横綱鶴竜が再興するとの噂もある。

 追手風からは、春日山消滅の際に合流した力士達が中川部屋として独立したものの、早々に不祥事でお取り潰し、力士は一門外も含めた移籍により四散した。