最強小結

 「最強小結(平成ランキング)」にて、平成時代の小結たちを、独自の評価基準を設けてランキングした。ここに昭和の上位力士を当てはめて、近代相撲最強小結ランキングを作成した。

 関脇に上がれなかった不運を嘆きつつ、その実力者ぶりが再評価されるきっかけになればと思う。

近代小結20傑

①富士錦

遠 藤

③豊 山

北勝富士

④清水川

⑥若瀬川

⑦若ノ海

⑧龍 虎

⑨豊真将

⑩高見盛

11阿武咲

11琴 錦

13旭道山

13三杉里

15時天空

15國 登

17大 晃

17櫻 錦

17佐田の海

17和歌嶌

 

(次点)成山、若浪、松鳳山

 錚々たる顔触れ、と感じるのは相当マニアックな人だと思うが、玄人好みの力士が並んでいる。

 現役の3人が入っているが、いずれも今後関脇に上がるだけの地力は十分あり、そのため次点も補記した。

昭和名小結列伝

 昭和に新小結となった力士だけでランキングすると、以下の通り。幾代かに引き継がれる由緒ある四股名の力士が多いのが特徴。

 なかなか日の目を浴びない名力士もいるので、実績を中心に紹介していく。

文句なしに最強 富士錦

 得点化するまでもなく、残した記録だけで圧倒的な富士錦。これは明らかに平成小結も令和小結も敵わない。

 まず、優勝経験がある。さらに三賞7度、金星7を含む横綱戦9勝。そして59場所の幕内在位中10場所も小結を務め、うち3場所は勝越した。

 総合評価点は、平成トップの遠藤を1点以上上回る。小結P、活躍Pは、上限のはずの3点を超えて4をつけざるを得ない。実績が飛び抜けている。殊勲P、通算Pも満点近く。これだけの活躍を見せながら、勝率だけは.470と平凡というのが小結界の深淵さ。

 昨今と違って関脇、小結に張出が珍しくなかった時代。関脇に上がれなかったのが不思議だが、富士錦の場合は逆に作用した。4関脇もいるとなかなか全滅はせず、3度とも8勝だった小結富士錦をわざわざ引き上げにくかった。一方平幕上位では勝ち星を挙げていたので、枠をこじあけての小結再昇進も果たしている。三役見送り常連の北勝富士も、当時ならもっと小結在位が増えていただろう。

 

二代目豊山

 富士錦以外は甲乙つけがたいので、得点化して順位をつけた。

 富士錦、遠藤には離されたが、高得点だったのが豊山。先代は当時最強大関と呼ばれたこちらは最強小結に迫った。

 最も目立ったのは対横綱戦10勝の実績。富士錦の9、大錦、北勝富士の8を抑えて単独トップ。殊勲Pは4とした。小結では4場所とも勝ち越せなかったが、横綱に2勝した。晩年は十両との往復で、こちらも勝率は.460と冴えない。

 

二代目清水川

 豊山とは僅差、平成2位の北勝富士と並んだのが、清水川だ。年6場所制定着前の時代に幕内41場所を務めながら、勝率.489をマーク。小結としても3場所在位し、勝越しはないが横綱に2勝。金星5と合わせて大物食いとして名を馳せ、こちらも名大関の誉れ高かった先代の四股名に恥じない実力者だった。

 

二代目若瀬川

 これに次ぐのが若瀬川。戦中の昭和17年入幕ながら、昭和34年まで幕内を務め、ほぼ年2,3場所の時代にあって在位54場所。年6場所時代なら100場所を超える。最後の場所も前頭2枚目で勇退した。多くの横綱と対戦し、金星も7。三賞は4回だが、表彰開始前の19年秋には、千秋楽まで全勝で優勝に王手をかけながら逃した経験もある。これで小結1場所だけなのが不思議なくらい。驚異的な長寿ぶりと大物食いが牽引し、上位に数えられる。こちらも三代に引き継がれた由緒ある四股名だ。

 

二代目若ノ海(荒岩)

 花籠の七若の一人で隠れた名小結。活躍期間、勝率のバランスが良く、小結でも勝越しあり。新入幕からの連続敢闘賞、ハイライトの34年11月は、上位を若羽黒を1差の12勝。横綱も7度破り実績十分。こちらも出世名として、花籠部屋の後進2人が続いている。

 

龍 虎

 美男力士として鳴らした龍虎も平成3位(現役除くと1位)の豊真将を上回る。大怪我で幕下まで落ちながらの復活劇で公傷制度の創設をもたらしたエピソードが有名。その分幕内通算記録は伸びないが、度々大勝ちして優勝争いを賑わせたことも。休場で転落し、引き際も鮮やかだったため勝率も高め。小結通算4場所で、勝越しも記録しているのもポイント。

 

初代琴錦

 佐渡ヶ嶽部屋の創設者、先代の琴錦は上位キラーとしてならし金星7。小結でも横綱戦2勝と健闘したが勝越しはならず。度々二桁勝利も挙げているが、1賞1人の時代で三賞は1度きりだった。

 

國 登

 長期在位・高勝率の高見盛型。入幕2場所目には千秋楽を単独首位で迎えてあわや平幕優勝。金星4,殊勲賞2回を記録しているが、上位定着は1年ほどで、番付の上下動が激しかった。

 

5割超えの和歌嶌櫻錦

 幕内勝率で昭和小結最高は和歌嶌。大勝ちはほとんどなく、三賞のある時代にあっても受賞できたか微妙なくらいだが、大崩れも少なく、中位の7勝8敗で突然引退して貯金を残して去った。完全に戦前の力士で春秋園事件で離脱したりで場所数が少なく比較しにくいが、10年戦士。

 昭和でもうひとり勝率5割超えの櫻錦とは、奇しくも評価が同点。通算成績も酷似しており、白星が同数、黒星が1つ多いだけ。こちらも波の少ない成績で大活躍は少ないが、最後の出場場所で初の二桁12勝を挙げて技能賞を受けた。この活躍で通算5割を回復すると、翌場所休場しそのまま引退。横綱双葉山を二度破ったキラーぶりは特筆されるが、東西制もあって横綱戦勝利は意外と少ない。

 

大晃初代佐田の海

 5割超えの2人と同点で昭和ベスト10に滑り込んだ。

 大晃は在位64場所と当時としては屈指の長寿力士。しかも最終場所を全休した以外は初土俵から皆勤を続けて表彰され、なおかつ勝率も.482を残した。金星5、三賞は1度だけだが、若乃花と優勝決定戦に進んだことで、その「輝く」勇姿は比較的映像を目にすることが多い。

 佐田の海はのちに実子も同名を名乗って親子揃って新入幕敢闘賞を得た。二代目は幕内在位では父を上回ったが、惜しくも最高位は前頭筆頭。親子三役の悲願は厳しくなってきた。初代はその小結でも活躍し、在位4場所。2横綱を倒して三賞も得ている。最高位小結の力士で、在位中の三賞受賞者は唯ひとり。惜しむらくは幕内最後の場所、15戦全敗し、勝率を1分以上下げてしまった。

 

ベスト10外

 優勝力士の若浪は、10傑を漏れた。三賞も4と活躍ぶりは屈指で、幕内在位も50場所を超えているが、.450と低勝率。小結3場所在位も.222と他項目が伸びなかった。平成では松鳳山と同点だが、昭和では成山が並んだ。初の本名三役力士としては3勝12敗に終わり、通算記録、勝率はそこそこながら、金星6、三賞4(うち技能賞3)の活躍ぶりが目立った。

 

 上位と呼べるのはここまでで、後続とは少し点差が空く。

 両国は、故障がちで幕内32場所に留まったが、小結4場所在位。勝越しはなかったが、新小結で2横綱を破っており、千代の富士から約1年間で3金星を奪ったのが印象的。突き押しで上位を苦しめた。

 大錦は新入幕場所で金星を獲って三賞独占。翌場所には小結と最高のスタートを切りながら、3勝に終わると以降三役も三賞もなし。三賞3回だが一発屋なので、活躍ポイントは1とした。十両で停滞した時期も長く勝率は.450を切るが、何度もしぶとく復活して金星は8まで伸ばした。

 大錦と同時に引退した大潮は、幕内通算の各記録、通算勝率とも僅差。通算勝利数で当時1位を記録しながら、幕内在位は大錦より2場所少なく、通算ポイントはそれほど高く評価できなかった。十両在位1位だが、たまに上がってきては速攻で上位を食ったりしている。

 初顔で大鵬の45連勝をストップした戸田、のちの羽黒岩。知名度の割にその後の活躍はあまり語られない。前の場所敢闘賞の勢いを駆って世紀の番狂わせを演じたが、その場所は負け越して殊勲賞ならず。翌場所も柏戸を破ったが、金星はそれで打ち止め、三賞にも縁はなかった。反面滅多に大崩れせず、地味ながら通算記録、勝率では健闘している。

 

 

 若元春、若隆景兄弟の活躍で令和期に度々その名が出てくるようになった若葉山も触れておこう。あまり派手な活躍はなく、小結も1場所限り。勝率も平凡ながら息の長い力士で金星は4つ。大関目前まで行った孫たちもこれは破れていない。キラーぶりが効いて羽黒岩、大潮よりも高い総合点となった。

 有名どころではないが、同得点帯にいるのが豊國。これも大関が名乗っていた四股名だが、別系統の時津風部屋。初代豊山の1年前に幕下付出デビューした大学出身力士の先駆者で、小結は1場所に終わったが、キャリア終盤に至るまで主に平幕上位で活躍し、コンスタントに金星7個を獲得している。