大関陥落直後2

 大関は2場所連続負け越しで陥落するが、直後の場所で10勝すれば復帰できる。  この特例ができたのは、昭和40年代。従来、大関陥落の条件は3場所連続負け越しだったが、2場所連続に改められた際に救済措置として設けられた。  『10勝』は大関として当然期待される成績であるとはいえ、連続で負け越した直後に二桁勝利はなかなかのハードルだ。衰えたのではなく思わぬ怪我で休場して落ちた場合でも、5敗しか許されない中で感覚を戻すのは至難の業だ。

陥落パターン別分析

 8敗以上喫しての負け越しか、8敗未満で休場による負け越しか、その組み合わせで4パターンに分けて、大関復帰しやすいパターン、ほぼ絶望のパターンがあるのか検証する。

平成の終わりに一度集計したが、令和5年余の記録も加えて再検証する。

なお、8敗未満の途中休場でも負け越し必至となって休んだケースもあるが、一律負け数で判断して分類する。

①連続休場 成功3失敗6

 

 把瑠都、髙安など、強かった大関が突然陥落するパターンが多い。

 昭和47年の前の山以降、30年弱も例がなかったが、平成16年の公傷制度廃止後にこの陥落パターンが増加している。公傷全休明けの12例では全て角番脱出に成功していたので、制度廃止が影響していると言えるだろう。全休して陥落した栃東、貴景勝は公傷が許されれば休んでいただろう(朝乃山は出場停止処分によるもの。その他の途中休場者は新たな怪我を負って休んでいる。)

 

 途中休場して陥落した成績は、1勝4敗から休場した照ノ富士はともかく、そのほかはまだどちらに転ぶかわからない成績だっだ。となれば、翌場所10勝しても不思議ではなさそうだが、反面2場所続けて休むような状態から急に本来の実力を発揮するのは難しい。

翌場所に復活できたのは栃東2回と、貴景勝。その他6例は、比較的力が残っていると思われた把瑠都、琴欧洲でも8勝。髙安も回復不十分で6勝に終わった。

 

 初陥落時の栃東は、公傷制度下も含め、カド番で全休した初の例だった。相撲勘を維持するためにも、8勝を目指してとりあえず出場するのが圧倒的多数だが、悪化すれば最悪。8勝で脱出できるカド番場所を休み、回復を優先して10勝を達成した貴重な成功例だった。これに続いたのが貴景勝。新大関場所で故障、異例の再出場も実らず再休場と無理をしたが、翌場所全休が功を奏し、陥落直後の大関として最多の12勝で決定戦にも進出した。

 

 なお、最初の連続休場での陥落例となった前の山は、6勝6敗と終盤まで出場したので毛色が異なる。琴櫻に勝った相撲が無気力相撲として呼び出され、自主的に休場して陥落となった(琴櫻はそのまま出場)。同じ高砂部屋の朝乃山が謹慎休場で陥落したのも何かの因果か。

②8敗以上+休場  成功0失敗5

 

 過去、復活例がない難関コース。一時的な不振か衰えかはともかく、8敗以上喫している時点で地力の怪しさを露呈している上、直前で怪我まで負ったとあれば、客観的にも10勝するのは難しそうだ。4例は公傷を適用されて猶予はあったが、10敗が2例、復帰叶わず全休が2例。

 久しぶりにこのケースに該当した霧島は、大関で優勝して綱取りへあと一歩と迫った直後の絶不調。先代と似たような成績で途中休場して陥落となった。好スタートを切って期待されたが失速、辛うじて勝ち越すに留まった。とはいえ、原因となった首の不調が落ち着けば、復活の期待は持てる。翌場所引退した琴風を除いた3人は陥落後も長く活躍、雅山は5年後大関再昇進に迫っている。

③休場明け8敗以上 成功4失敗3

 

 三重ノ海武双山師弟と貴ノ浪。即復帰に成功した最初の3例が、いずれも同じパターンで陥落していたのは興味深い(三重ノ海の陥落は不戦敗で8敗となって途中休場)。故障明けで、体調不十分のため負け越してしまったが、長く土俵からは離れていないし、早期に状態が良くなれば復活を期待できるパターンだ。直近の栃ノ心も千秋楽で惜しくも負け越して落ちたので、状態が上がれば10勝しても不思議ではなかった。

 小錦は2勝13敗に終わったが、最初の例の大受も復帰へあと1勝の9勝。陥落直後では最長の4場所連続関脇を維持した。どのケースも公傷を挟まずに出場して陥落しており(栃ノ心は制度廃止後)、もしもう1場所休んで調整十分で臨んでいたら、カド番を脱出できていてもおかしくない。

④連続8敗以上 成功0失敗7

 

 土俵上で8敗以上喫するのは大関にとって屈辱。それが2場所続くのだから、もはや大関の実力がなくなったと言われても仕方がない。データ上も復帰例はない難関である。

 昭和期はそもそも早めに休場することが多く、このパターンで落ちたのは「休場は試合放棄」の名言で有名な魁傑のみだったが、近年は負けが込んでも休まないケースが増えており、平成3例、令和2例が記録されている。直近4例は2場所合計負け越し数が10を超えている。貴ノ浪、琴奨菊、正代はしばらく上位に残り、金星も挙げるなどそれなりに存在感を発揮していた。

 特に琴奨菊は2桁黒星が続いていたのに、復活へあと1つの9勝と健闘した。かつてなら公傷も視野に休場するところ、無理に出場して負け越す大関も増加している。致命的に衰えていなければ、今後このケースからも直後の復帰例も見られるかもしれない。

<総括>

 

 全体だと28例中7例と成功率は3割に満たない。大関復帰は高いハードルだと語られがちだが、パターン分けすると、成功の方が多いケースもある。成功率順に並べると、以下の通り。

 

③休場後8敗以上(.571) >> ①連続休場(.333) >> ④連続8敗以上、②8敗後休場(.000)

 

 2場所前に8敗以上を喫したケースでは復帰例がない。カド番でない場所に負け越すまで出場していると、翌場所もダメならもう厳しい。早めに休場してしまった方が良いということをデータが物語っている。

 平成の中頃、12〜17年に集中。大関の昇降が激しかった時期だ。前回、平成末期から令和初頭も関脇以下の優勝が相次ぐ乱世の様相で、調子によって負け越したり二桁勝ったりする実力の三役力士が多く、大関復帰も続けざまに出てくるかもしれないと書いたが、この時栃ノ心に続いて大関に復活したのが貴景勝だった。

 パターン①の中でも珍しい、角番場所全休で満を持して土俵に復帰した前回に対して、今回はパターン③。実は、このパターンの方が成功率が高い。満身創痍とはいえ綱取りに挑んで間もない27歳、まだ望みを持っても良いだろう。