四股名論5 改名

 令和6年夏場所、50年ぶりに琴櫻の名が土俵に響き渡る。

大関2場所目を迎える琴ノ若が、満を持して祖父・琴櫻の四股名を受け継いだ。

 亡き先代佐渡ヶ嶽親方は、大関になったら名前を与えると約束。見事幼少期からの夢を実現して、昇進時に改名するかと思われたが、十両昇進後に継承した元関脇の実父のしこ名を大関にしたいとの意向で、新大関場所のみ琴ノ若のままで務めた。何ともロマンあふれる話である。

 ところで、在位中の大関が四股名を改めるというのは珍しいことなのだろうか。過去の例を調べてみた。



改名のタイミング

 一般的に、関取が四股名を変えるのはいつなのか。

 本名かそれに冠を被せたような仮のしこ名で初土俵を踏み、新十両でしこ名を貰うのが多いのはご存知のとおり。この夏場所でも長く幕下で苦労した塚原がついに新十両となり、場所直後の番付編成会議後に「栃大海」の四股名を発表した。

 一方、入門当初からしこ名を貰うことも増えている。本名がすでに番付上にあって使えない場合(年寄名跡にある中村や、行司の木村、よくある名字ですでに使われている場合)や、外国人の場合は何かしら考えざるを得ないが、最初から名付けられる部屋もある。伊勢ヶ濱部屋などはその傾向が強く、九重部屋も以前は三段目昇進を目安にしていたが、最近は当初から与えている。

 試みに、令和6年夏の幕内力士が現在のしこ名を名乗ったタイミングを調べた。

令和編

最初から 16 豊昇龍、大の里、宝富士
新十両 12 照ノ富士、隆の勝、阿炎

幕下以下 大栄翔、翠富士、錦木
本名のまま 高安、正代、宇良
大関在位中 琴櫻
新大関 霧島
新入幕 貴景勝

 入門時または番付についた際から変わらない力士が最多(前相撲のみ本名も含む)。本名の力士は別カウントしている。

 続いて新十両で四股名を変えたのが12名。そのうち照ノ富士は若三勝、北勝富士は大輝と名乗っていたが、これは本名を名乗れなかったから。隆の勝は舛の勝から現師匠に因んだものに、琴勝峰は佐渡ケ嶽部屋定番の仮の四股名である琴手計から。それ以外の8名が本名からの改名で、典型例と思っていたが2割に満たなかった。幕下以下で改名した力士と同数である。

 幕下以下ではなかなか改名するきっかけがなさそうだが、若元春は若隆景の入門を機に剛士から改名。大栄翔は怪我が多かったので大翔栄から微修正。追手風部屋に新たなバリエーションを加えた。同期同部屋の翠富士、錦富士は序ノ口では本名同士で、序二段では今の四股名を名乗って同部屋決定戦を戦った。錦木のように長らく燻っている時に大きな四股名を与えて刺激するというのも昔からあるパターンだ。

 

 1-3位までの36名が十両昇進までに四股名を名乗っている。残る6名中、高安、正代、宇良は本名で通している。なので、新十両より後に改名というのはわずか3名である。

 現代的には、大関昇進後という以前に珍しかった。その3名がいずれも大関というのも面白い。幕内昇進時の貴景勝、大関昇進時の霧島、大関2場所目の琴櫻である。貴景勝は本名から、霧島は入門時から名乗った霧馬山からの継承。琴櫻は新十両で琴ノ若を継承し、さらにまた継承した。

平成編

 では、30年前の夏場所の幕内力士と比較してみる。

 十両昇進時が一番多かった。次に幕下以下での改名が多い。大卒と違って下積みの長い叩き上げが多く、十両に近づいたし、長年頑張ってるし、壁にあたっているので心機一転、理由は様々だが、そろそろ四股名をつけてやろうというタイミングでの改名が多かった。

 令和ではトップだった初土俵当初から名乗り続けているのは3位と比較的少なかった。うちハワイ出身の3人は当然旭道山、湊富士など昭和末期に新設した部屋では、新弟子に早速しこ名をもらう例が目立った。佐渡ヶ嶽部屋の琴別府、琴稲妻、琴ヶ梅も、入門当初からこの四股名。

新十両 14 魁皇、貴闘力、武双山
幕下以下 12 安芸ノ島、琴錦、琴の若

最初から 武蔵丸、旭道山、琴ヶ梅
十両在位中 寺尾、浪乃花
大関昇進時 曙、貴ノ花
三役在位中 若ノ花

過去の横綱大関との比較

 地位を極めると名声の高まった四股名を改めることはできなくなってくるが、横綱在位中に改名した例もないではない。大正末期に昇進した源氏山は、2場所目から井筒部屋伝統の西ノ海(三代目)に改めた。なぜこのタイミングになったのかは不明。幻の横綱の名は、昭和末期にのちの寺尾が短期間だけ継承した。折悪く某アイドル的な印象を与えて気恥ずかしく?、すぐに返上されてしまった。

 そのほか、東富士、千代の山も横綱在位中に改めているが微修正であり、事実上横綱昇進時がリミットだ。双羽黒二代若乃花玉の海が改名で花を冴えている。

大関昇進というのも角界の看板を背負うことになるので、大きな四股名を与えるには適切なタイミングだ。霧島しかり、貴ノ花しかり。本名で取っていた北勝海や、安馬というちょっと大関としては軽い四股名?だった日馬富士が改名。

 では、琴櫻と同じように大関在位中にというのは?回数としては意外とあるのだが、直近例の琴欧州→琴欧洲のように字のみの改名が多い。北の冨士→北の富士、若島津→若嶋津、貴ノ花→貴乃花など。読みの変わる改名は、小野川が豊國と改めて以来となる。

 読みの変わる改名は、小野川喜一郎が豊國と改めて以来96年ぶりとなる。谷風のライバルとされる5代横綱小野川喜三郎の名を戴いたものだが、小野川は大阪相撲において年寄名跡としてあり、昭和2年に東西合併。昭和3年夏から豊國を名乗ることとした(勿論、現在では年寄名跡と同じ四股名は名乗れない)。これは特殊事情と言えるので、やはり大関在位途中の改名は異例中の異例と言えるだろう。

タイミング 四股名 前四股名
横綱在位中 朝潮 朝汐
  千代の山 千代ノ山
  東富士 東冨士
  西ノ海 源氏山
横綱昇進 双羽黒 北尾
  若乃花 若三杉
  玉の海 玉乃島
大関在位中 琴櫻 琴ノ若
  琴欧洲 琴欧州
  貴乃花光司 貴ノ花
  若乃花勝 若ノ花
  若嶋津 若島津
  貴ノ花利章 貴乃花
  貴乃花健士 貴ノ花
  前の山 前乃山
  北の富士 北の冨士
  佐田の山 佐田乃山
  若乃花勝治 若ノ花
  豊國 小野川
大関昇進 霧島 霧馬山
  日馬富士 安馬
  貴ノ花光司 貴花田
  曙(点付き)
  北勝海 保志
三役在位中 若ノ花勝 若花田
  大乃国 大ノ国
  大麒麟 麒麟児
  朝汐(のち横綱) 朝潮
三役復帰 前乃山 前の山
三役陥落 朝潮(のち大関) 朝汐
平幕在位中 隆の里 隆ノ里
  朝汐(のち大関) 長岡
  朝潮(のち横綱) 米川
  玉乃島 玉乃嶋
  柏戸 富樫
再入幕 栃ノ海 花田
新入幕 稀勢の里 萩原

二度目の継承

 何度も四股名を変える力士は最近は少なくなったが、かつては改名を繰り返す力士も一定数いた。だが、琴櫻のように部屋に伝わる名跡を複数回継承した力士はいたのだろうか。

 

 若花田は、まず若ノ花を名乗り、それから若乃花に。乃の字だけではあるが、叔父の改名歴を辿るように複数回継承している。同じ流れの貴乃花は、先代が貴乃花に改名してすぐ貴ノ花に戻しているので微妙ではあるが、該当するといえばする。同じように、先代に倣ってまず朝汐を経てからの朝潮という例もある。

 複数の力士の四股名を継承ということでいえば、二代目若乃花幹士は、若三杉を継承してから、横綱昇進時に師匠の四股名に改めた。若三杉は初代若乃花の弟弟子の大豪の前名。二人共若三杉を名乗って初優勝を果たしている。当時部屋付き親方だった。

 近年可能性があったものでいえば、再入幕で玉ノ洋から改名した玉乃島。そうするという噂は聞かなかったが、もし大関、横綱となっていれば、先代に倣って玉の海襲名を、という声は当然上がっただろう。もう少し遡れば、大関大麒麟の前名を先代がまだ現役のうちから名乗った関脇麒麟児も、10年以上幕内に在位して、もはや「児」ではないだろうと言われたが、結局大麒麟は襲名しなかった。元大麒麟の押尾川が騒動の末に独立してしまったこともあって、継承は難しかったか。

 大正、明治、さらに遡れば、出世魚のように次々大きな名を与えられる力士もいたかもしれないが、昭和以降に関しては歌舞伎役者よろしく何度も襲名することはない。琴鎌谷、琴ノ若、琴櫻と出世したのは、三代に渡る力士一家ならでは。異例のことである。

 余談ながら、初代の琴櫻は番付についた際は「桜」であり、十両昇進時に旧字体の「櫻」に改めている。初代の琴ノ若は、「の」→「乃」→「ノ」と2度改めている。もっといえば、琴ノ若に改めた際に若の字も草かんむりを分離(「十」が2つ並べた形)。改名歴まで丁寧に1つずつなぞっていれば、5回は継承できたわけである。

 ならば同じ三世の王鵬ら納谷兄弟も…こちらは祖父のも父のも違う意味でさすがに名乗れないか。