優勝決定状況

 いつ、どのような状況で優勝が決まったのかに注目して分析する。決定日だけでなく、直接対決だったのかなどにも着目。決定戦も詳細に分析し、自力逆転、他力逆転、その他どのような展開で決定戦にもつれ込んだのか、にまで踏み込む。

決定時点別

      合計 割合 前半 後半
(計)   113 62.5 62 51
  7 3.9 3 4
(計) 64 35.2 36 28
34 18.7 15 19
30 16.5 21 9
  5 2.7 2 3
  37 20.4 21 16
14 (計)   54 29.8 22 32
  6 3.3 1 5
(計) 42 23.1 17 25
38 20.9 14 24
4 2.2 3 1
  6 3.3 4 2
13 (計)   14 7.7 6 8
  1 0.5 0 1
  12 6.6 6 6
  1 0.5 0 1

 優勝決定日、そのうち取組前、取組に勝った時点、取組後、(千秋楽は同点決勝)と2段階に分けて決定時点で分類した。

 

 決定日に関わらず、優勝者が勝った時点での決定が圧倒的に多く、優勝を争う相手が負けて決まったのは26例で全体の14%。うち取組前が14例、取組後が12例と僅差だった。千秋楽の取組後決定は、相手が勝っていれば決定戦になっていたケース。取組順から、このパターンで横綱が優勝したのは日馬富士だけ。魁皇が2回連続で幸運を掴んだほか、照ノ富士、貴景勝と初優勝が3人。ちなみに14日目の取組後も水戸泉、若花田、稀勢の里と初優勝組が多く、勝ち残りの土俵下や支度部屋で歓喜の瞬間を迎えている。逆に勝てば決定戦進出の一番を落としたのは、曙、貴乃花、白鵬が27年に2回と、高安。

 

 決定日別では、千秋楽まで縺れたのは60%強で最も多く、14日目決定は約30%、13日目に早々と決まったのは10%もなかった。

 

 決定時点を詳細に分けると、千秋楽に勝った時点での決定が最多64場所で、全場所の35%に昇る。優勝の可能性を残す相手との直接対決に勝ったのは、そのうち半分弱。相星で勝った方が優勝となったのは、そのまた半分の16場所。

 14日目に勝った時点で優勝が確定したのは42場所。うち1差で追ってくる相手を直接倒して決めたのは4場所と少なく、圏外の力士を破って逃げ切りを決めたのがほとんど。

 13日目決定の中でも、13日目の取組前に決めた朝青龍は空前絶後の最速記録。13戦全勝とした後に2敗勢が消えて優勝が決まった把瑠都のパターンも1例のみ。

 

 前・後期に割ると、やはり前半の方が最後まで縺れた展開が多く、千秋楽前の決定が12場所増えている。

決定戦詳細

        合計 前半 後半
2人 (計)     32 16 16
連戦 (計)   13 7 6
本割負   7 3 4
連勝   6 4 2
(計)   19 9 10
本割勝 (計) 16 7 9
相手勝 12 5 7
相手負 4 2 2
本割負 (計) 3 2 1
相手勝 1 1 0
相手負 2 1 1
3人       3 3 0
4人       1 1 0
5人       1 1 0
      37 21 16

 3人以上の決定戦は平成一桁に集中したが、2人の決定戦は、平成前期・後期で見事に同数。表のとおり、各パターンで前後期での差は大きくない。

 パターンごとに場所数を比較すると、両者ともに勝って決定戦になったのが最多。

 優勝力士が本割で負けたのは10場所。中でも決定戦圏外の相手に負けたのは3場所だけ。しかし、いずれも劇的な決定戦で、若貴兄弟決戦、青白初のモンゴル決戦は、両者仲良く負けて実現。千代の富士が負けて北勝海が勝って追いついた同部屋横綱決定戦は、唯一のパターンだ。 

 表にはないが、3人以上の決定戦では、本割で負けて決定戦に持ち込まれた力士の優勝は2回。勝って千秋楽で追いついた力士の優勝は1回。あとの2回は並走した力士共々勝って決定戦になった。

自力逆転

 本割、決定戦と同じ相手に連勝して劇的な逆転優勝を果たしたのは、2人の決定戦では6人。4人の決定戦では、貴乃花が本割と決定戦決勝で曙を破っているが、他の力士に関しては他力によるところもあるので、自力逆転というかは微妙なところ。

 うち4人は、唯一の決定戦優勝。千代大海は決定戦史上唯一の取り直しを演じ、3連戦の末に初優勝を果たしたが、3年後には反対に逆転を喫している。

 反対に本割で負けた力士が決定戦は雪辱したのは7回。後輩横綱に押されていた貴乃花、朝青龍が、本割惨敗ながら決定戦では奇跡的な復活を果たすドラマを、それぞれ年に2回も起こしたことが印象的。

 昭和では決定戦制度導入後の40年余で3回だけだったので、30年で逆転6回は意外と多い数字だ。 

 

他力逆転

 相手が本割で負けたのは12場所あり、うち圏外の相手に負けて決定戦となった4場所は、いわゆる他力逆転になった。貴ノ浪、武蔵丸による同部屋力士の援護射撃、新入幕の白鵬が朝青龍をアシストしたのも印象的。上記の九重決戦での北勝海だけ、他力で回ってきたチャンスを逸している。

決定戦戦績

  優勝 敗退 勝利 敗戦  
白鵬 6 4 6 4  
貴乃花 5 5 6 5 4人1回
朝青龍 5 1 5 1  
4 3 7 3 3人2回、逆転1回
北勝海 3 1 4 2 3人1回
貴ノ浪 2 2 3 2 同部屋2回
日馬富士 2 1 2 1 逆転1回
武蔵丸 1 6 3 6 5人1回
多数 1 - 1 -  

 決定戦を最も制したのは、やはり白鵬だが、圧倒的な通算優勝回数の割には僅差。進出数も貴乃花と並んで10回でトップだが、縺れる展開は比較的少なかった。

 2人の決定戦に絞っても、白鵬の6回が最も多い。朝青龍の5回、貴乃花が4回、北勝海、曙、貴ノ浪、日馬富士が2回で続く。

 勝利数では、決定戦優勝は4位ながら巴戦を2度制した曙が1位。敗退した4人の決定戦でも1回戦を勝っており、実に7勝(5人決定戦での1回戦不戦勝は除く)。

 勝率を見ると、惜しくも昭和最強・千代の富士の6戦全勝には及ばなかったが、朝青龍の.833が飛び抜けている。白鵬、貴乃花は意外な低さ。武蔵丸の.143は目立って低いが、唯一の優勝が唯一の5人決定戦というのが特異。

 

 ちなみに2人の決定戦に平幕が入るケースは前期にはなかったが(3人以上はあり)、後期には3度あった。うち1回は平幕同士で、これを制した旭天鵬は、史上唯一決定戦勝者となった平幕力士である。

決定戦進出者の成績

成績 合計 2人 3人 4人 5人
15-0 0 0 0 0 0
14-1 11 11 0 0 0
13-2 18 16 2 0 0
12-3 6 4 1 1 0
11-4 2 1 0 0 1
37 32 3 1 1

 決定戦となった場合の成績は、13勝2敗が一番多く、次いで14勝1敗。12勝以下は少数だった。同部屋だとあり得る全勝同士の決定戦は史上例がない。

楽日相星決戦

楽日相星決戦 勝敗 

 

貴乃花

4

3

武蔵丸

3

0

日馬富士

2

0

北勝海

1

0

小錦

1

0

魁皇

1

0

栃東

1

0

朝青龍

1

2

白鵬

1

3

1

4

霧島

0

1

貴ノ浪

0

1

千代大海

0

1

 16回あった千秋楽相星決戦は、互いの番付が揃わないと実現しない。2横綱の番付だと確実に千秋楽の対戦が見込まれるが、そうでない組み合わせで激突するには、偶然か審判部の意図的な取組順の変更を要する。本割の対戦順の影響がしない決定戦の37回に比べても希少である。

 一人横綱と大関の顔合わせとなった、朝青龍ー栃東、白鵬ー日馬富士は、本来横綱と千秋楽に顔が合うはずの東正大関ではなく、対戦順の変更により実現したもの。両者が抜け出して比較的読みやすい展開だったことが実現に一役買った。大関同士の相星決戦は3度あったが、いずれも横綱の休場により千秋楽の取り組みになったもの。

 ほぼ全てのケースで対戦が決まった次点で優勝が二人に絞られているが、平成4年春の小錦ー霧島の大関対決だけは、他に相星力士がおり、それが先に脱落したことで、勝ったほうが優勝の対決となった。

 力士別に見ると、貴乃花が最多勝だが、決定戦同様勝率は高くない。武蔵丸は決定戦では6回も敗退したが、相星決戦は3戦全勝。この両者の対戦は、決定戦は貴乃花の4戦4勝、相星決戦は武蔵丸の2戦2勝と対象的。曙は決定戦は4度勝ち抜けたが、相星決戦は1勝4敗に終わった。

 白鵬、朝青龍は20年に両者が2場所連続で戦い、1勝ずつを挙げたが、意外にもそれだけだった。1横綱時代が長くてそもそも相星決戦になることが珍しかったが、共に黒星が上回ったのは意外。

相星決戦成績

14-0

1

13-1

6

12-2

7

11-3

2

 楽日相星決戦となった場合の成績は、1敗同士と2敗同士が拮抗した。全勝対決、3敗対決はレアだった。全勝対決は平成で一度きり。昭和58年の隆の里ー千代の富士以来、29年ぶりに記録された。